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	<title>陶陶酒本舗 &#187; 歩く人は若返る！</title>
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		<title>多摩川の川辺も楽しい【二子玉川周辺散策】</title>
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		<pubDate>Fri, 19 May 2017 05:43:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[多摩川と国分寺崖線 多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川です。奥多摩湖の出口である小河内ダムより下流を多摩川と呼び、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、川辺の野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな河川で知られています。 それは、太古の多摩川が10万年以上の歳月をかけて武蔵野台地の南側を削ってできた、河岸段丘によるものと言われています。立川市から国分寺市などを経由し、世田谷区から大田区へと延長約30キロメートルにわたる「国分寺崖線」と呼ばれる崖の連なりです。 この段丘とその周辺に残る自然環境は、台地部には畑地や樹林地の緑、低地部には豊かな自然が残る小河川や湧水池などが多く残され、世田谷区の「みどりの生命線」とも言われる貴重なものとなっています。 ぜひ、栄養ドリンクをお供に、水と緑が織りなす多摩川の自然と若者にも人気の街並みの風情を楽しんでください。 &#160; ★二子玉川 かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると言われています。また、江戸時代にこの地に存在した渡し船「二子の渡し」により地域一体が栄えた事に始まると言います。 自然環境が残されているこの地域に住宅地を中心とした街が形成されていますが、二子玉川駅近辺は玉川高島屋をはじめとした商業施設が建ち並び、さらに近年では駅の東側を中心に再開発が進められ、大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業するなど、賑わいを見せています。近年では「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれることもあるようです。 &#160; &#160; ★兵庫島公園 国分寺崖線の豊かな緑を望み、兵庫池や開放的な芝生の広場で、水遊びや散策が楽しめます。 若山牧水の歌碑もあり、多摩川の水辺の環境と歴史を生かした憩いの場となっています。 &#160; &#160; &#160; &#160; ★五島美術館 東急電鉄の元会長・五島慶太が自ら蒐集した古写経をはじめとする美術品の数々を広く公開するため、昭和35年（1960）に開館。五島は開館を目前にして死去。 &#160; &#160; ★上野毛自然公園 国分寺崖線上にある公園で、貴重な緑地空間となっています。 坂・階段は急ですが、緑豊かで閑静な園内は心癒されます。 &#160; ★旧清水家住宅書院 当時の清水組（現清水建設）副社長宅の離れとして、明治43年（1910）から44年ごろに台東区根岸に新築された和風建築。大正8年（1919）に現在の世田谷区瀬田に移築、解体され、平成25年、現在地に再度移築され、世田谷区登録有形文化財（建造物）として登録されています。 開館日　日曜日・祝日・第2月曜日（年末・年始は除く） &#160; ★二子玉川公園 &#160; 平成25年4月14日、住民参加型の公園としてオープン。国分寺崖線のみどりと多摩川の水辺に囲まれた、眺めのよい公園です。眺望広場からは丹沢の山々や富士山を望むことができます。園内各所には誰もが快適に利用できるよう、階段のそばにはスロープやエレベーター、車いすの貸出（無料）など、いろいろな工夫を取り入れています。 （「健康な暮らし」2017年5月号掲載） 今回も散策MAPはPDFでアップしました！ ⇒「二子玉川周辺MAP」 「よく歩く人は病気になりにくい」というだけでなく、若々しさも取り戻せます。歩くことにより、体力、スタミナが増し、体重の減少や維持にも役立ちます。 さらに、眠りの質も改善され、脳の働きが活発になると言われています。散歩を楽しめる元気な足腰に役立つドリンク剤などを活用して、無理をせず、楽しみながらの散歩で心身ともに健康な生活を手に入れましょう！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h1><span style="color: #0000ff;">多摩川と国分寺崖線</span></h1>
<p>多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川です。奥多摩湖の出口である小河内ダムより下流を多摩川と呼び、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、川辺の野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな河川で知られています。</p>
<p>それは、太古の多摩川が10万年以上の歳月をかけて武蔵野台地の南側を削ってできた、河岸段丘によるものと言われています。立川市から国分寺市などを経由し、世田谷区から大田区へと延長約30キロメートルにわたる「国分寺崖線」と呼ばれる崖の連なりです。</p>
<p>この段丘とその周辺に残る自然環境は、台地部には畑地や樹林地の緑、低地部には豊かな自然が残る小河川や湧水池などが多く残され、世田谷区の「みどりの生命線」とも言われる貴重なものとなっています。</p>
<p>ぜひ、栄養ドリンクをお供に、水と緑が織りなす多摩川の自然と若者にも人気の街並みの風情を楽しんでください。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span style="color: #0000ff;">★二子玉川</span></h2>
<p>かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると言われています。また、江戸時代にこの地に存在した渡し船「二子の渡し」により地域一体が栄えた事に始まると言います。<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま１.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-6981" title="にこたま１" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま１.jpg" alt="" width="293" height="219" /></a></p>
<p>自然環境が残されているこの地域に住宅地を中心とした街が形成されていますが、二子玉川駅近辺は玉川高島屋をはじめとした商業施設が建ち並び、さらに近年では駅の東側を中心に再開発が進められ、大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業するなど、賑わいを見せています。近年では「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれることもあるようです。</p>
<p>&nbsp;</p>
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<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま２1.jpg"><img class="aligncenter size-large wp-image-6983" title="にこたま２" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま２1-1024x654.jpg" alt="" width="640" height="408" /></a></p>
<h2><span style="color: #0000ff;">★兵庫島公園</span></h2>
<p>国分寺崖線の豊かな緑を望み、兵庫池や開放的な芝生の広場で、水遊びや散策が楽しめます。</p>
<p>若山牧水の歌碑もあり、<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま３.jpg"><img class="alignright size-medium wp-image-6984" title="にこたま３" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま３-300x200.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a>多摩川の水辺の環境と歴史を生かした憩いの場となっています。</p>
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<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya01.jpg" target="_blank"><strong> </strong></a></p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span style="color: #0000ff;">★五島美術館</span></h2>
<p>東急電鉄の元会長・五島慶太が自ら蒐集した古写経をはじめとする美術品の数々を広く公開するため、昭和35年（1960）に開館。五島は開館を目前にして死去。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span style="color: #3366ff;">★上野毛自然公園</span></h2>
<p><span style="color: #0000ff;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま5.jpg"><img class="alignright size-medium wp-image-6986" title="にこたま5" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま5-226x300.jpg" alt="" width="226" height="300" /></a></span></p>
<p>国分寺崖線上にある公園で、貴重な緑地空間となっています。</p>
<p>坂・階段は急ですが、緑豊かで閑静な園内は心癒されます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span style="color: #0000ff;">★旧清水家住宅書院<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま6.jpg"><img class="alignright size-thumbnail wp-image-6987" title="にこたま6" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま6-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></a></span></h2>
<p>当時の清水組（現清水建設）副社長宅の離れとして、明治43年（1910）から44年ごろに台東区根岸に新築された和風建築。大正8年（1919）に現在の世田谷区瀬田に移築、解体され、平成25年、現在地に再度移築され、世田谷区登録有形文化財（建造物）として登録されています。</p>
<p>開館日　日曜日・祝日・第2月曜日（年末・年始は除く）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h2><span style="color: #0000ff;">★二子玉川公園</span></h2>
<p>&nbsp;</p>
<p>平成25年4月14日、住民参加型の公園としてオープン。国分寺崖線のみどりと多摩川の水辺に囲まれた、眺めのよい公園です。眺望広場からは丹沢の山々や富士山を望むことができます。園内各所には誰もが快適に利用できるよう、階段のそばにはスロープやエレベーター、車いすの貸出（無料）など、いろいろな工夫を取り入れています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま7.jpg"><img class="aligncenter size-medium wp-image-6988" title="にこたま7" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま7-300x133.jpg" alt="" width="300" height="133" /></a></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2017年5月号掲載）</span></p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/05/にこたま２1.jpg">「二子玉川周辺MAP」</a></p>
<p><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a><br />
「よく歩く人は病気になりにくい」というだけでなく、若々しさも取り戻せます。歩くことにより、体力、スタミナが増し、体重の減少や維持にも役立ちます。<br />
さらに、眠りの質も改善され、脳の働きが活発になると言われています。散歩を楽しめる元気な足腰に役立つドリンク剤などを活用して、無理をせず、楽しみながらの散歩で心身ともに健康な生活を手に入れましょう！</p>
]]></content:encoded>
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		<title>三軒茶屋から松陰神社、豪徳寺【世田谷線周辺散策】</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Mar 2017 00:00:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[東急世田谷線の歴史 東京都世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ東急世田谷線は、路線距離5.0km、駅数は10駅で２両編成の路面電車です。現在、都内を走る路面電車はこの東急世田谷線と都電荒川線だけとなりました。 世田谷線は大正14年（1925）1月18日に三軒茶屋駅～世田谷駅間が玉川電気鉄道（玉電）の支線として開業したのに始まります。同年5月には残りの世田谷駅～下高井戸駅間が開業し、現在の世田谷線の形となりました。 昭和44年（1969）5月に玉川線の主線であった渋谷駅～二子玉川園駅間が廃止されてしまいます。残った支線部分が「世田谷線」と改称され現在に至りますが、廃線を免れたのは、区間の大半が新設軌道であり、また並行道路の整備がうまくいかなかったことが理由のようです。 都会なのに懐かしい、静かな街をつないで、のんびり走る世田谷線で、「世田谷の下町」、「歴史の町」といわれている、街並みの風情を感じてください。 ★三軒茶屋 昔ながらの商店やレトロな店が連なる路地が魅力の三軒茶屋。その地名は、江戸時代に大山道の本道（今の世田谷通り）と近道（今の国道246）の分岐点に信楽（後に石橋楼）、角屋、田中屋の三軒の茶屋があった事に由来します。当時は神奈川県丹沢の大山にある阿夫利神社へ詣る大山詣が流行し、文化文政の頃には三軒茶屋という呼称が一般的になっていたそうです。 明治30年代になると三軒茶屋の近くに軍事施設がつくられ、軍関係者相手の商店が立ち並び、商店街が形成されていきました。 太平洋戦争の後、焼け跡になった商店街にバラック建ての商店が並びはじめ、復興が始まります。昭和25年には仲見世商店街が建設され、急速に発展をとげ、現在では都会と昭和の味わいの町並みが混在する街として若者にも人気の街として発展しています。 参考「三軒茶屋どっと混む.」 ★キャロットタワー 周辺のランドマークにもなっているキャロットタワーは、銀行や企業、「生活工房」、「世田谷パブリックシアター」などの文化施設や商業施設、行政窓口が備わる複合施設です。 最上階は入場料無料の展望スペース。テーブルやイスなどが置かれ、自由に都会の景色や夜景を望むことができます。解放時間は23時まで。 ★目青不動 五色不動（五眼不動）の一つに数えられ、今では「縁結びの不動」として信仰を集めています。境内の「チシャノキ」は100年以上の古木。 4月8日の花祭りは、いまでも生花で飾るそうです。 ★松陰神社 吉田松陰は安政６年（1859）10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死。４年後の文久３年（1863）、門下生であった高杉晋作、伊藤博文たちにより、当時の長州毛利藩藩主の別邸のあった、この若林の地に改葬されました。 明治15年11月21日松陰門下の人々が、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀るところとなり、近年は学問の神として参拝者は全国各地に及んでいます。 ★世田谷ボロ市 ボロ市の始まりは、約400年前の天正の時代の楽市にさかのぼります。近郷の村人の需要をみたす農機具・古着・正月用品などを、毎年12月15日に売る「歳の市」として開かれてきました。 明治時代には、正月15日にも開かれ、やがて12月15・16日の両日、正月の15・16日にも開かれるようになり、現在に至っています。時代とともに、並ぶ商品も農機具などは減り、食料品や玩具、装身具、ことに植木類が多く売られています。 ★豪徳寺 彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかりました。その時、和尚の飼い猫が手招きするような仕草をしたため、寺に寄り休憩を。すると突然の雷雨になりました。 雨に濡れずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、寺は盛り返したという。 これは、豪徳寺が招き猫発祥の地とする説の一つです。 （「健康な暮らし」2017年4月合併号掲載） 今回も散策MAPはPDFでアップしました！ ⇒「世田谷線周辺散策」MAP 「よく歩く人は病気になりにくい」というだけでなく、若々しさも取り戻せます。歩くことにより、体力、スタミナが増し、体重の減少や維持にも役立ちます。 さらに、眠りの質も改善され、脳の働きが活発になると言われています。散歩を楽しめる元気な足腰に役立つドリンク剤などを活用して、無理をせず、楽しみながらの散歩で心身ともに健康な生活を手に入れましょう！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">東急世田谷線の歴史</span></strong><br />
<div id="attachment_6691" class="wp-caption alignright" style="width: 260px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_access.gif"><img class="size-full wp-image-6691" title="世田谷線へのアクセス案内図" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_access.gif" alt="" width="250" height="243" /></a><p class="wp-caption-text">普通運賃は１回の乗車で150円。世田谷線散策きっぷ（330円）で一日乗降り自由。</p></div>東京都世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ東急世田谷線は、路線距離5.0km、駅数は10駅で２両編成の路面電車です。現在、都内を走る路面電車はこの東急世田谷線と都電荒川線だけとなりました。<br />
世田谷線は大正14年（1925）1月18日に三軒茶屋駅～世田谷駅間が玉川電気鉄道（玉電）の支線として開業したのに始まります。同年5月には残りの世田谷駅～下高井戸駅間が開業し、現在の世田谷線の形となりました。<br />
昭和44年（1969）5月に玉川線の主線であった渋谷駅～二子玉川園駅間が廃止されてしまいます。残った支線部分が「世田谷線」と改称され現在に至りますが、廃線を免れたのは、区間の大半が新設軌道であり、また並行道路の整備がうまくいかなかったことが理由のようです。<br />
都会なのに懐かしい、静かな街をつないで、のんびり走る世田谷線で、「世田谷の下町」、「歴史の町」といわれている、街並みの風情を感じてください。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_map.gif"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_map.gif" alt="" title="三軒茶屋から松陰神社、豪徳寺まで" width="761" height="526" class="aligncenter size-full wp-image-6697" /></a></p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya01.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya01.jpg" alt="" title="三軒茶屋" width="100" height="75" class="alignright size-full wp-image-6700" /><strong>★三軒茶屋</strong></a><br />
昔ながらの商店やレトロな店が連なる路地が魅力の三軒茶屋。その地名は、江戸時代に大山道の本道（今の世田谷通り）と近道（今の国道246）の分岐点に信楽（後に石橋楼）、角屋、田中屋の三軒の茶屋があった事に由来します。当時は神奈川県丹沢の大山にある阿夫利神社へ詣る大山詣が流行し、文化文政の頃には三軒茶屋という呼称が一般的になっていたそうです。<br />
明治30年代になると三軒茶屋の近くに軍事施設がつくられ、軍関係者相手の商店が立ち並び、商店街が形成されていきました。<br />
太平洋戦争の後、焼け跡になった商店街にバラック建ての商店が並びはじめ、復興が始まります。昭和25年には仲見世商店街が建設され、急速に発展をとげ、現在では都会と昭和の味わいの町並みが混在する街として若者にも人気の街として発展しています。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">参考「三軒茶屋どっと混む.」</span></p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya02.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya02.jpg" alt="" title="キャロットタワー" width="75" height="100" class="alignright size-full wp-image-6703" /><strong>★キャロットタワー</strong></a><br />
周辺のランドマークにもなっているキャロットタワーは、銀行や企業、「生活工房」、「世田谷パブリックシアター」などの文化施設や商業施設、行政窓口が備わる複合施設です。<br />
最上階は入場料無料の展望スペース。テーブルやイスなどが置かれ、自由に都会の景色や夜景を望むことができます。解放時間は23時まで。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya03.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya03.jpg" alt="" title="目青不動" width="100" height="75" class="alignright size-full wp-image-6706" /><strong>★目青不動</strong></a><br />
五色不動（五眼不動）の一つに数えられ、今では「縁結びの不動」として信仰を集めています。境内の「チシャノキ」は100年以上の古木。<br />
4月8日の花祭りは、いまでも生花で飾るそうです。</p>
<p><strong>★松陰神社</strong><br />
吉田松陰は安政６年（1859）10月27日、安政の大獄に連座し江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死。４年後の文久３年（1863）、門下生であった高杉晋作、伊藤博文たちにより、当時の長州毛利藩藩主の別邸のあった、この若林の地に改葬されました。<br />
明治15年11月21日松陰門下の人々が、墓畔に社を築いて先生の御霊を祀るところとなり、近年は学問の神として参拝者は全国各地に及んでいます。</p>
<div id="attachment_6707" class="wp-caption aligncenter" style="width: 710px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_shoin.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_shoin.jpg" alt="" title="松陰神社" width="700" height="350" class="size-full wp-image-6707" /></a><p class="wp-caption-text">松陰神社・鳥居前と吉田松陰先生像</p></div>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya04.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya04.jpg" alt="" title="世田谷ボロ市" width="100" height="75" class="alignright size-full wp-image-6708" /><strong>★世田谷ボロ市</strong></a><br />
ボロ市の始まりは、約400年前の天正の時代の楽市にさかのぼります。近郷の村人の需要をみたす農機具・古着・正月用品などを、毎年12月15日に売る「歳の市」として開かれてきました。<br />
明治時代には、正月15日にも開かれ、やがて12月15・16日の両日、正月の15・16日にも開かれるようになり、現在に至っています。時代とともに、並ぶ商品も農機具などは減り、食料品や玩具、装身具、ことに植木類が多く売られています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya05.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya05.jpg" alt="" title="豪徳寺" width="100" height="75" class="alignright size-full wp-image-6709" /><strong>★豪徳寺</strong></a><br />
彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかりました。その時、和尚の飼い猫が手招きするような仕草をしたため、寺に寄り休憩を。すると突然の雷雨になりました。<br />
雨に濡れずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多額の寄進をし、寺は盛り返したという。<br />
これは、豪徳寺が招き猫発祥の地とする説の一つです。</p>
<div id="attachment_6710" class="wp-caption aligncenter" style="width: 710px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_gotoku.jpg" target="_blank"><img src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_gotoku.jpg" alt="" title="豪徳寺" width="700" height="350" class="size-full wp-image-6710" /></a><p class="wp-caption-text">招き猫と豪徳寺・井伊直弼の墓所</p></div>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2017年4月合併号掲載）</span></p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！<br />
⇒<a title="世田谷線周辺散策マップ" href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2017/03/setagaya_map.pdf" target="_blank">「世田谷線周辺散策」MAP</a></p>
<p><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a><br />
「よく歩く人は病気になりにくい」というだけでなく、若々しさも取り戻せます。歩くことにより、体力、スタミナが増し、体重の減少や維持にも役立ちます。<br />
さらに、眠りの質も改善され、脳の働きが活発になると言われています。散歩を楽しめる元気な足腰に役立つドリンク剤などを活用して、無理をせず、楽しみながらの散歩で心身ともに健康な生活を手に入れましょう！</p>
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		<title>飛鳥山公園から歩く「王子周辺散策」～12月には「熊手市」や「王子狐の行列」も</title>
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		<pubDate>Fri, 02 Dec 2016 06:02:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[デルカップ]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[都内屈指の桜の名所と知られている飛鳥山公園からスタートです。桜のように有名ではありませんが、イロハモミジ74本、オオモミジ11本、トウカエデ22本など、なかなか趣のある紅葉スポットです。そろそろ紅葉も終わりに近づいていますが、近くの王子神社では12月6日に熊手市が開催されます。四季折々の風景が楽しめる風情豊かな王子周辺もぜひ、歩いてみてください。 飛鳥山公園 北区を代表する公園として親しまれている飛鳥山公園。八代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行い、桜が植えられたことをきっかけに、現在に至るまで区内外から多くの人たちが訪れる人気の公園です。 吉宗の治世当時は、花見の時期は風紀が乱れたといいます。このため、庶民が安心して花見ができる場所として、開放時には吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行ったと伝えられています。飛鳥山の花見人気とともに、料理屋や茶屋が立ち並んで、江戸郊外の手軽な行楽地として人気を集めたようです。 桜は、ソメイヨシノ・サトザクラなど約650本が植えられています。また、つつじも約10種・15000株が、さらに、京浜東北線沿いには、あじさいが約1300株植えられています。花・新緑・落葉など樹木の移り変わりを通して、1年の季節を感じてください。 園内には、第一国立銀行や王子製紙などといった企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一の旧邸が残されており、国の重要文化財に指定されています。 明治6年（1873）には上野公園などと共に日本最初の公園に指定されました。 平成の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれ、シンデレラ城のようなすべり台やゾウのすべり台などオリジナリティー溢れる遊具や、SLや路面電車の展示など、子供が好きな設備も充実しています。隣接する博物館も３館あり、半日くらいは遊べそうな施設充実の公園です。 標高25.4ｍ（都内で一番低い山）飛鳥山には公園入口から山頂まで、自走式モノレール「あすかパークレール」が片道約2分でつないであります。 しかも、無料で車いすやベビーカーのまま乗車できるので、特にご高齢の方、障害のある方や小さなお子様連れの方などには、とても便利な乗り物です。ただし、お花見の時期はとても混むようです。12月29日から1月3日までを除く毎日運転していますが、保守管理などによる運休があります。モノレール自体は、カタツムリのようにゆっくりのぼっていくので、エスカルゴをもじって、『アスカルゴ』と名付けられたそうです。「あすかパークレール」を利用される方は、ＪＲ王子駅中央口が便利です。 ★渋沢史料館 渋沢栄一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示し、活動を広く紹介する博物館として、1982年に旧渋沢邸跡に開館。関連イベントなども随時開催。 旧渋沢庭園に残る大正期の2棟の建築「晩香廬」「青淵文庫」の内部公開も行っています。 ◆開館時間／【渋沢史料館】10：00～17：00（入館は16：30まで）・【晩香廬・青淵文庫】　10：00～15：45 ◆休館日／月曜日（祝日・振替休日の場合は開館）、祝日の代休（祝日・振替休日の後の最も近い火曜日～金曜日の1日）、年末年始（12月28日～1月4日）、臨時休館日（運営上やむを得ず休館することがあります） ◆入館料／【一般】300円・【小中高】100円 ※旧渋沢庭園は入園無料です。ただし入園時間は、季節によって変わります。（3月～11月→9：00～16：30・12月～2月→9：00～16：00） ★音無親水公園 自然の川を模した公園で、日本の都市公園百選にも選定されています。春にはお花見、夏には水遊びが楽しめます。 石神井川はこの辺りでは音無川と呼ばれ、古くから景勝の地として親しまれ、「かっての渓流をもう一度」という声に応えることとなり、昭和63年、北区は、この音無橋の下に親水公園を整備しました。 ★王子神社 王子権現の名称で江戸名所ともなっていました。非常に高い格式を持ち、東京の北方守護として東京十社に選ばれています。北区指定無形民俗文化財の民俗芸能「王子田楽」を奉納する、8月の例大祭や毎年12月6日に東京最後の酉の市として知られる「熊手市」が有名です。 また、都指定天然記念物の大イチョウ、理容業の神である関神社と毛塚などの見どころもあります。 ★王子稲荷神社 東国三十三ケ国稲荷総司の格式を持つ神社で、平安中期頃より当地に鎮座している古社です。 毎年、大晦日の夜に、関東一円の稲荷神社から、大きな木の下で装束を整えて狐たちが集まって、王子稲荷神社を参詣したという伝説が残っています。広重の浮世絵に、木の下に狐が集まる様子と、その木の脇に祀られた社が「装束稲荷」を描いたものがあります。その浮世絵にならって、年末になると、地元の人々による「狐の行列」が行われ、今では北区の冬の風物詩となっています。 また、毎年2月の午の日には江戸時代より凧市が開かれ、火事除けの「火防の凧」が売られています。 また、国認定重要美術品である、柴田是真の描いた絵馬「額面著色鬼女図」と、谷文晁の龍図を所蔵し、正月三が日と2月午の日に公開されています。 ★名主の滝公園 江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に開いたのが始まりで〈名主の滝〉の名前の由来もここから来ています。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、一般に開放されました。 昭和20年4月の空襲により焼失しましたが、昭和35年東京都によって再公開されるようになり、昭和50年には北区に移管され、現在に至っています。 名主の滝は8メートルの落差を有する「男滝」を中心に、4つの滝から成ります。これらの滝とケヤキやエノキ、そして100本余りのヤマモミジが植えられた自然の風景を巧みに取り入れた回遊式庭園です。 ★お札と切手の博物館 展示室では、お札、切手、証券など、国立印刷局が製造した各種製品と、明治期以前のお札、諸外国のお札や切手、お札の製造と深いかかわりをもつ銅版画など、様々な資料を展示し、お札の歴史、偽造防止技術などについて解説されています。 （「健康な暮らし」2016年11・12月合併号掲載） 今回も散策MAPはPDFでアップしました！JR王子駅の改札外脇にある「New Days」では、陶陶酒・デルカップの辛口が販売中です。ぜひ、ご利用ください。 王子駅周辺には、気持ち良い散歩ができる自然環境が残っています。これから年末にむけて、12月6日の都内最後の酉の市である王子神社「熊手市」や、12月31日から1月1日にかけて、きつねに扮した人たちが「王子装束稲荷神社」に集まり、行列を成して練り歩いて、「王子稲荷神社」へ参詣する「きつねの行列」に参加、見物に行かれてはいかがでしょうか。 ⇒「王子周辺散策」MAP]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>都内屈指の桜の名所と知られている飛鳥山公園からスタートです。桜のように有名ではありませんが、イロハモミジ74本、オオモミジ11本、トウカエデ22本など、なかなか趣のある紅葉スポットです。そろそろ紅葉も終わりに近づいていますが、近くの王子神社では12月6日に熊手市が開催されます。四季折々の風景が楽しめる風情豊かな王子周辺もぜひ、歩いてみてください。</p>
<div id="attachment_5405" class="wp-caption alignright" style="width: 261px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_access.gif" target="_blank"><img class="size-full wp-image-5405" title="oji_access" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_access.gif" alt="" width="251" height="270" /></a><p class="wp-caption-text">飛鳥山公園に隣接する王子駅は、様々な路線が乗り入れ、利便性が高く、王子周辺の散策に、気軽に訪れることができます。</p></div><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">飛鳥山公園</span></strong><br />
北区を代表する公園として親しまれている飛鳥山公園。八代将軍徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行い、桜が植えられたことをきっかけに、現在に至るまで区内外から多くの人たちが訪れる人気の公園です。<br />
吉宗の治世当時は、花見の時期は風紀が乱れたといいます。このため、庶民が安心して花見ができる場所として、開放時には吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行ったと伝えられています。飛鳥山の花見人気とともに、料理屋や茶屋が立ち並んで、江戸郊外の手軽な行楽地として人気を集めたようです。<br />
桜は、ソメイヨシノ・サトザクラなど約650本が植えられています。また、つつじも約10種・15000株が、さらに、京浜東北線沿いには、あじさいが約1300株植えられています。花・新緑・落葉など樹木の移り変わりを通して、1年の季節を感じてください。<br />
園内には、第一国立銀行や王子製紙などといった企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一の旧邸が残されており、国の重要文化財に指定されています。<br />
明治6年（1873）には上野公園などと共に日本最初の公園に指定されました。<br />
<div id="attachment_5377" class="wp-caption alignleft" style="width: 150px"><img class="size-full wp-image-5377 " title="oji_01" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_01.jpg" alt="" width="140" height="106" /><p class="wp-caption-text">お城の滑り台で遊ぶ</p></div>平成の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれ、シンデレラ城のようなすべり台やゾウのすべり台などオリジナリティー溢れる遊具や、SLや路面電車の展示など、子供が好きな設備も充実しています。隣接する博物館も３館あり、半日くらいは遊べそうな施設充実の公園です。<br />
<div id="attachment_5378" class="wp-caption alignright" style="width: 110px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_02.jpg"><img class="size-full wp-image-5378 " title="あすかパークレール「アスカルゴ」" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_02.jpg" alt="" width="100" height="75" /></a><p class="wp-caption-text">アスカルゴ</p></div>標高25.4ｍ（都内で一番低い山）飛鳥山には公園入口から山頂まで、自走式モノレール「あすかパークレール」が片道約2分でつないであります。 しかも、無料で車いすやベビーカーのまま乗車できるので、特にご高齢の方、障害のある方や小さなお子様連れの方などには、とても便利な乗り物です。ただし、お花見の時期はとても混むようです。12月29日から1月3日までを除く毎日運転していますが、保守管理などによる運休があります。モノレール自体は、カタツムリのようにゆっくりのぼっていくので、エスカルゴをもじって、『アスカルゴ』と名付けられたそうです。「あすかパークレール」を利用される方は、ＪＲ王子駅中央口が便利です。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_map.gif"><img class="aligncenter size-full wp-image-5417" title="王子散策マップ" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_map.gif" alt="" width="701" height="300" /></a></p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_03.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-5395" title="渋沢史料館" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_03.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★渋沢史料館</strong></a><br />
渋沢栄一の生涯と事績に関する資料を収蔵・展示し、活動を広く紹介する博物館として、1982年に旧渋沢邸跡に開館。関連イベントなども随時開催。<br />
旧渋沢庭園に残る大正期の2棟の建築「晩香廬」「青淵文庫」の内部公開も行っています。<br />
◆開館時間／【渋沢史料館】10：00～17：00（入館は16：30まで）・【晩香廬・青淵文庫】　10：00～15：45<br />
◆休館日／月曜日（祝日・振替休日の場合は開館）、祝日の代休（祝日・振替休日の後の最も近い火曜日～金曜日の1日）、年末年始（12月28日～1月4日）、臨時休館日（運営上やむを得ず休館することがあります）<br />
◆入館料／【一般】300円・【小中高】100円<br />
※旧渋沢庭園は入園無料です。ただし入園時間は、季節によって変わります。（3月～11月→9：00～16：30・12月～2月→9：00～16：00）</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_04.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-5400" title="音無親水公園" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_04.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★音無親水公園</strong></a><br />
自然の川を模した公園で、日本の都市公園百選にも選定されています。春にはお花見、夏には水遊びが楽しめます。<br />
石神井川はこの辺りでは音無川と呼ばれ、古くから景勝の地として親しまれ、「かっての渓流をもう一度」という声に応えることとなり、昭和63年、北区は、この音無橋の下に親水公園を整備しました。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_05.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-5401" title="王子神社" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_05.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★王子神社</strong></a><br />
王子権現の名称で江戸名所ともなっていました。非常に高い格式を持ち、東京の北方守護として東京十社に選ばれています。北区指定無形民俗文化財の民俗芸能「王子田楽」を奉納する、8月の例大祭や毎年12月6日に東京最後の酉の市として知られる「熊手市」が有名です。<br />
また、都指定天然記念物の大イチョウ、理容業の神である関神社と毛塚などの見どころもあります。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_06.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-5425" title="王子稲荷神社" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_06.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★王子稲荷神社</strong></a><br />
東国三十三ケ国稲荷総司の格式を持つ神社で、平安中期頃より当地に鎮座している古社です。<br />
毎年、大晦日の夜に、関東一円の稲荷神社から、大きな木の下で装束を整えて狐たちが集まって、王子稲荷神社を参詣したという伝説が残っています。広重の浮世絵に、木の下に狐が集まる様子と、その木の脇に祀られた社が「装束稲荷」を描いたものがあります。その浮世絵にならって、年末になると、地元の人々による「狐の行列」が行われ、今では北区の冬の風物詩となっています。<br />
また、毎年2月の午の日には江戸時代より凧市が開かれ、火事除けの「火防の凧」が売られています。<br />
また、国認定重要美術品である、柴田是真の描いた絵馬「額面著色鬼女図」と、谷文晁の龍図を所蔵し、正月三が日と2月午の日に公開されています。</p>
<p><div id="attachment_5420" class="wp-caption aligncenter" style="width: 280px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_hiroshige.jpg"><img class="size-full wp-image-5420" title="広重" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_hiroshige.jpg" alt="" width="270" height="400" /></a><p class="wp-caption-text">広重「各所江戸百景」</p></div>
<p><strong>★名主の滝公園</strong><br />
江戸時代に王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に開いたのが始まりで〈名主の滝〉の名前の由来もここから来ています。庭園として整備されたのは、明治の中頃で、一般に開放されました。<br />
昭和20年4月の空襲により焼失しましたが、昭和35年東京都によって再公開されるようになり、昭和50年には北区に移管され、現在に至っています。<br />
名主の滝は8メートルの落差を有する「男滝」を中心に、4つの滝から成ります。これらの滝とケヤキやエノキ、そして100本余りのヤマモミジが植えられた自然の風景を巧みに取り入れた回遊式庭園です。<br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_meishu.jpg"><img class="aligncenter size-full wp-image-5434" title="名主の滝公園" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_meishu.jpg" alt="" width="700" height="350" /></a></p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_07.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-5402" title="お札と切手の博物館" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_07.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★お札と切手の博物館</strong></a><br />
展示室では、お札、切手、証券など、国立印刷局が製造した各種製品と、明治期以前のお札、諸外国のお札や切手、お札の製造と深いかかわりをもつ銅版画など、様々な資料を展示し、お札の歴史、偽造防止技術などについて解説されています。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2016年11・12月合併号掲載）</span></p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！JR王子駅の改札外脇にある「New Days」では、陶陶酒・デルカップの辛口が販売中です。ぜひ、ご利用ください。<br />
王子駅周辺には、気持ち良い散歩ができる自然環境が残っています。これから年末にむけて、12月6日の都内最後の酉の市である王子神社「熊手市」や、12月31日から1月1日にかけて、きつねに扮した人たちが「王子装束稲荷神社」に集まり、行列を成して練り歩いて、「王子稲荷神社」へ参詣する「きつねの行列」に参加、見物に行かれてはいかがでしょうか。</p>
<p>⇒<a title="王子周辺散策マップ" href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/oji_walking_map.pdf" target="_blank">「王子周辺散策」MAP</a></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/list.php?category_id=200" target="_blank"><img class="aligncenter size-full wp-image-1625" title="ad_deru" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/ad_deru.jpg" alt="" width="701" height="131" /></a></p>
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		<title>江戸川橋から歩く「神田川周辺散策」～緑に囲まれた昔懐かしい風情が残る</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Nov 2016 05:10:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/?p=4853</guid>
		<description><![CDATA[少しずつではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。今回ご紹介するエリアは、四季折々の景観を楽しみながら散策できる素敵なところです。天気が良い日には、私もお昼休みにお弁当を持って行くことがあります。特に桜の季節は、毎日でも訪れているおススメの場所ですので、ぜひ、歩いてみてください。 江戸川公園周辺の神田川は、江戸時代には御留川（おとめがわ）と呼ばれ、その後昭和40年（1965）までは江戸川と呼ばれていました。今でもその名を受け継ぐ江戸川公園は、関口台地の南斜面の神田川沿いに自生する雑木林と園路を主体とした東西に細長い公園です。 園路を散策すると、石の広場や時計搭のある四阿（あづまや）、藤棚のあるテラスなど、様々な景色が変化に富んだ景観となっています。 公園の西側に位置する広場には長いすべり台、ブランコなどの遊具が備えられ、親子連れで楽しめる児童公園もあります。 神田川は洪水が多く、護岸工事に伴って多くの桜は切られましたが、昭和58年（1983）の神田川河川改修に伴い、新たに桜の木が植えられ、現在では開花の時期になると多くの花見客で賑わっています。 江戸川公園から石畳を上流に歩いて100メートルほど先には椿山荘の庭園入口があります。そして「関口芭蕉庵」を越えると「新江戸川公園」があり、坂の上には「永青文庫」など目白台台地の起伏を活かした景観をつくり出しています。 関口芭蕉庵 神田上水の改修工事の際に松尾芭蕉が延宝5年（1677）からの4年間、水番屋に住んだといわれているのが関口芭蕉庵の始まりです。後の享保11年（1726）の芭蕉の33回忌にあたる年に、芭蕉やその弟子らの像などを祀った「芭蕉堂」が、いつしか人々から「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになったそうです。敷地内は「関口芭蕉庵保存会」によって維持管理されており、池や庭園などもかつての風情を留めた造りとなっています。 ホテル椿山荘東京の庭園 明治の元勲である山縣有朋が自分の屋敷として購入、椿が自生する景勝地だったことから「椿山荘」と命名しました。1948年（昭和23年）に藤田興業の所有地となり、現在は「ホテル椿山荘東京」となっています。庭園は一般公開されており、椿や桜などの植物のほか、史跡等が鑑賞できます。庭園の頂上に建つ三重塔は、広島県賀茂郡入野（現東広島市）の竹林寺にあったものを藤田平太郎が譲り受け、椿山荘に移築したもので、室町時代末期のものと推定されており、国の登録有形文化財に登録されています。 ★東京カテドラル聖マリア大聖堂 第２次世界大戦で全焼した聖堂は、ドイツのケルン教区の支援により再建が決定。 丹下健三氏の設計により、昭和35年（1960）に起工、昭和39年（1964）12月8日落成しました。鉄筋コンクリート造の高さ39.4メートルの十字架形をかたどった構造は、ユニークな教会建築として世界的に知られています。 ★新江戸川公園【肥後細川庭園 （ひごほそかわていえん）】 新江戸川公園は、目白台台地の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月頃より、肥後細川庭園 （ひごほそかわていえん）に名称を変更する予定です。 ★松聲閣（しょうせいかく） 松聲閣は、新江戸川公園内にあり、細川家の学問所として建てられ、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。 現在の建物は、歴史性を生かし、耐震性を確保し、平成28年１月にリニューアルオープンしたものです。 松聲閣の各部屋は、集会室（「菊」「朝顔」の和室と「花菖蒲」「芍薬」の洋室）が、事前の申込（抽選）での有料利用ですが、それ以外の部屋（２階展望所、休憩室「椿」）は自由に観覧できます。 ★永青文庫 細川家伝来の歴史資料や美術品など、約9万点の文化財を管理保存、研究し、一般に公開しています。 昭和25年、16代護立公によって、財団法人として設立。毎年4期にわけて所蔵品である美術工芸品を中心に公開展示しています。 永青文庫の開館日には新江戸川公園の日本庭園に直接入ることができる出入り口が設けられています。 ★水稲荷神社 旧称「冨塚稲荷」と命名されましたが、元禄15年（1702）に霊水が湧き出し、現社名の「水稲荷神社」と改名されました。 眼病のほか水商売および消防の神様として有名です。 ★穴八幡宮 康平5年（1062）に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、寛永13年（1636）ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としました。 のちに宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金銅の御神像が現れ、以来、「穴八幡宮」と呼ばれるようになりました。 江戸時代から続く『一陽来復御守』は、金銀融通の御守として、毎年「冬至」から翌年の「節分」までの期間のみ頒布しています。 今回も散策MAPはPDFでアップしました！江戸川橋から南に10分ほど歩くと陶陶酒本舗のショップがあります。より元気になりたい人の健康サプリを豊富に取り揃えております。散歩のお帰りに、また散歩がてらに、お気軽にお立寄ください。お待ちしております。 ⇒「神田川周辺散策」MAP （「健康な暮らし」2016年10月号掲載） 陶陶酒ショップのご案内 ◆営業日時：月～金（祝祭日などは除く）／午前9時～午後5時 ◆場所：東京都新宿区天神町6番地Mビル1階【神楽坂駅・矢来口より徒歩２分】 ※医薬品の販売は、登録販売者が不在の時はお売りすることができません。ご希望の方はお手数ですが、電話：0120-039-064でご確認の上、ご来店ください。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>少しずつではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。今回ご紹介するエリアは、四季折々の景観を楽しみながら散策できる素敵なところです。天気が良い日には、私もお昼休みにお弁当を持って行くことがあります。特に桜の季節は、毎日でも訪れているおススメの場所ですので、ぜひ、歩いてみてください。<br />
<div id="attachment_4878" class="wp-caption alignright" style="width: 290px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa_access.gif" target="_blank"><img class="size-full wp-image-4878" title="kandagawa_access" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa_access.gif" alt="" width="280" height="237" /></a><p class="wp-caption-text">江戸川公園⇒東京メトロ「江戸川橋駅」徒歩3分</p></div>江戸川公園周辺の神田川は、江戸時代には御留川（おとめがわ）と呼ばれ、その後昭和40年（1965）までは江戸川と呼ばれていました。今でもその名を受け継ぐ江戸川公園は、関口台地の南斜面の神田川沿いに自生する雑木林と園路を主体とした東西に細長い公園です。<br />
園路を散策すると、石の広場や時計搭のある四阿（あづまや）、藤棚のあるテラスなど、様々な景色が変化に富んだ景観となっています。<br />
公園の西側に位置する広場には長いすべり台、ブランコなどの遊具が備えられ、親子連れで楽しめる児童公園もあります。<br />
神田川は洪水が多く、護岸工事に伴って多くの桜は切られましたが、昭和58年（1983）の神田川河川改修に伴い、新たに桜の木が植えられ、現在では開花の時期になると多くの花見客で賑わっています。<br />
江戸川公園から石畳を上流に歩いて100メートルほど先には椿山荘の庭園入口があります。そして「関口芭蕉庵」を越えると「新江戸川公園」があり、坂の上には「永青文庫」など目白台台地の起伏を活かした景観をつくり出しています。</p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">関口芭蕉庵</span></strong><br />
神田上水の改修工事の際に松尾芭蕉が延宝5年（1677）からの4年間、水番屋に住んだといわれているのが関口芭蕉庵の始まりです。後の享保11年（1726）の芭蕉の33回忌にあたる年に、芭蕉やその弟子らの像などを祀った「芭蕉堂」が、いつしか人々から「関口芭蕉庵」と呼ばれるようになったそうです。敷地内は「関口芭蕉庵保存会」によって維持管理されており、池や庭園などもかつての風情を留めた造りとなっています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa01.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4897" title="ホテル椿山荘" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa01.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">ホテル椿山荘東京の庭園</span></strong></a><br />
明治の元勲である山縣有朋が自分の屋敷として購入、椿が自生する景勝地だったことから「椿山荘」と命名しました。1948年（昭和23年）に藤田興業の所有地となり、現在は「ホテル椿山荘東京」となっています。庭園は一般公開されており、椿や桜などの植物のほか、史跡等が鑑賞できます。庭園の頂上に建つ三重塔は、広島県賀茂郡入野（現東広島市）の竹林寺にあったものを藤田平太郎が譲り受け、椿山荘に移築したもので、室町時代末期のものと推定されており、国の登録有形文化財に登録されています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa02.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4900" title="東京カテドラル聖マリア大聖堂" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa02.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★東京カテドラル聖マリア大聖堂</strong></a><br />
第２次世界大戦で全焼した聖堂は、ドイツのケルン教区の支援により再建が決定。<br />
丹下健三氏の設計により、昭和35年（1960）に起工、昭和39年（1964）12月8日落成しました。鉄筋コンクリート造の高さ39.4メートルの十字架形をかたどった構造は、ユニークな教会建築として世界的に知られています。</p>
<p><strong>★新江戸川公園【肥後細川庭園 （ひごほそかわていえん）】</strong><br />
新江戸川公園は、目白台台地の自然景観を活かした池泉回遊式庭園です。この公園周辺は、江戸中期以降は旗本の邸地になり、江戸末期には清水家や一橋家の下屋敷となりました。そして幕末には熊本54万石の細川侯の下屋敷に、明治15年には細川家の本邸となりました。その後は東京都が買収し昭和36年に「新江戸川公園」として開園し、昭和50年に文京区に移管されました。平成29年3月頃より、肥後細川庭園 （ひごほそかわていえん）に名称を変更する予定です。<img class="alignright size-full wp-image-4905" title="新江戸川公園と松聲閣" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa03.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><strong>★松聲閣（しょうせいかく）</strong><br />
松聲閣は、新江戸川公園内にあり、細川家の学問所として建てられ、一時期は細川家の住まいとして使用されていました。<br />
現在の建物は、歴史性を生かし、耐震性を確保し、平成28年１月にリニューアルオープンしたものです。<br />
松聲閣の各部屋は、集会室（「菊」「朝顔」の和室と「花菖蒲」「芍薬」の洋室）が、事前の申込（抽選）での有料利用ですが、それ以外の部屋（２階展望所、休憩室「椿」）は自由に観覧できます。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa04.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4915" title="永青文庫" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa04.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★永青文庫</strong></a><br />
細川家伝来の歴史資料や美術品など、約9万点の文化財を管理保存、研究し、一般に公開しています。<br />
昭和25年、16代護立公によって、財団法人として設立。毎年4期にわけて所蔵品である美術工芸品を中心に公開展示しています。<br />
永青文庫の開館日には新江戸川公園の日本庭園に直接入ることができる出入り口が設けられています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa05.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4918" title="水稲荷神社" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa05.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★水稲荷神社</strong></a><br />
旧称「冨塚稲荷」と命名されましたが、元禄15年（1702）に霊水が湧き出し、現社名の「水稲荷神社」と改名されました。<br />
眼病のほか水商売および消防の神様として有名です。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa06.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4921" title="穴八幡宮" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa06.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★穴八幡宮</strong></a><br />
康平5年（1062）に源義家が氏神八幡宮を勧請したことにはじまり、寛永13年（1636）ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としました。<br />
のちに宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、中から金銅の御神像が現れ、以来、「穴八幡宮」と呼ばれるようになりました。<br />
江戸時代から続く『一陽来復御守』は、金銀融通の御守として、毎年「冬至」から翌年の「節分」までの期間のみ頒布しています。</p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！江戸川橋から南に10分ほど歩くと陶陶酒本舗のショップがあります。より元気になりたい人の健康サプリを豊富に取り揃えております。散歩のお帰りに、また散歩がてらに、お気軽にお立寄ください。お待ちしております。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/10/kandagawa_map.pdf" target="_blank">「神田川周辺散策」MAP</a></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2016年10月号掲載）</span></p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">陶陶酒ショップのご案内</span></strong><br />
◆営業日時：月～金（祝祭日などは除く）／午前9時～午後5時<br />
◆場所：東京都新宿区天神町6番地Mビル1階<span style="color: #ff0000;">【神楽坂駅・矢来口より徒歩２分】</span><br />
※医薬品の販売は、登録販売者が不在の時はお売りすることができません。ご希望の方はお手数ですが、電話：0120-039-064でご確認の上、ご来店ください。</p>
<p><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=157" target="_blank"><img class="aligncenter size-full wp-image-1298" title="ad_engishofuku" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/12/ad_engishofuku.jpg" alt="" width="701" height="131" /></a></p>
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		<title>都心のオアシス緑の憩いの場「日比谷公園散策」</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Sep 2016 07:45:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[少しずつではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。 今回ご紹介する「日比谷公園」は、有楽町や銀座などからも徒歩圏内で、東京メトロ丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関駅」、東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷駅」、都営地下鉄三田線「日比谷駅」下車出口すぐ。さらに、東京メトロ・有楽町線「桜田門駅」、JR「有楽町」下車・徒歩8分というアクセスがとても良い公園として、仕事や買い物で疲れた時に、ちょっと寄ってリフレッシュするには、とても良い場所です。 年間を通じて、様々なイベントも多く開催されていますし、その季節の花々が楽しめます。ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょう。まさに、都心のオアシスとしておススメの公園です。 日比谷公園の歴史 日比谷公園は、国内最初の洋風近代式公園として明治36年（1903）6月に開園しました。ここは、江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれた地でしたが、明治になると大名屋敷が廃されて更地となり、日比谷ヶ原と呼ばれました。 造園するにあたって、江戸城に連なっていた堀を埋め立てる際に一部を心字池として残し、かつての石垣の一部「日比谷見附跡」を今でも見ることができます。 明治38年（1905）8月、野外音楽堂（現在の野外小音楽堂）が竣工、大正12年（1923）に野外大音楽堂が完成しました。 昭和46年（1971）には、沖縄返還運動により松本楼が全焼しましたが、昭和48年（1973）再建されました。 平成23年（2011）7月1日、東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館は、「日比谷図書文化館」として開館しました。 日比谷公園内には、明治期の数少ない近代洋風建築「旧日比谷公園事務所（東京都文化財）」、「日比谷公会堂・市政会館（東京都選定歴史的建造物）」、「京橋の欄干柱」、「南極の石」など歴史的な建物や珍しいものが設置されています。 ★旧日比谷公園事務所 日比谷公園の管理事務所として、明治43年（1910）11月に竣工しました。 昭和51年（1976）に公園資料館として内部を改造しましたが、構造、外観の変更は旧態を留め、棹縁天井やベイウィンドーの腰掛け、階段などに当初の名残りがあります。 ★心字池 開園前の濠を偲び造られ、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしています。禅宗の影響を受けた鎌倉、室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつです。 池の中央にはカメの形をした小さな『カメの噴水』があります。 ★日比谷見附跡 江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の石垣の一部だけが、ここに残っています。 城の外側から順に、高麗門（こまもん）・枡形（ますがた）・渡櫓（わたりやぐら）・番所が石垣でかこまれていました。 ★日比谷野外音楽堂（小音楽堂） 明治38年（1905）に完成したわが国初の野外音楽堂。大正12年（1923）9月の関東大震災で倒壊しましたが後日再築されました。 最大の特徴は、無料催事のみの貸し出しです。 ★雲形池 心字池と共に 日比谷公園開園当時からの面影を残すドイツ風庭園様式の池です。都市公園等の噴水としては、わが国で三番目に古いとされる、はばたく姿の鶴の噴水があります。近年はなかなか見られなくなっていますが、冬になると、噴水の鶴の広げた翼からいくつものつららが下がる姿は公園の冬の風物詩でした。 ★市政会館 当時の東京市長、後藤新平は、安田財閥・安田善次郎の寄付を受け、公園内に公会堂を付置した本格的なホールを備えた会館を昭和4年（1929）に竣工しました。これが、現在の市政会館と日比谷公会堂です。 ★三笠山 公園造成時に、池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が三つの笠をふせた形に似ていたのでこの名が付いたと言われています。 ★日比谷松本楼の10円カレー 日比谷公園と時を同じくしてオープンした日比谷松本楼は、3階建てのおしゃれな店として評判を呼び、当時のハイカラ好きな“モボ”や“モガ”のあいだでは「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが大流行したそうです。 昭和46年（1971）秋、放火により松本楼は焼失しましたが、全国からのあたたかい励ましに支えられて、昭和48（1973）年に、新装再オープンすることができました。そのときの感謝の心をこめた、記念行事としてはじまったのが「10円カレーチャリティーセール」です。 通常は880円の“ハイカラビーフカレー”が9月25日に限り、先着1500名が10円以上の寄付でカレーを食べられます。この日の売上は全額寄付されます。 今回も散策MAPはPDFでアップしました！四季折々の風情が楽しめる都会のオアシスへ、ぜひ、訪れてみてください。 ⇒「日比谷公園散策」MAP （「健康な暮らし」2016年8月号掲載）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>少しずつではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。<br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya_access_map.gif"><img class="alignright size-full wp-image-4343" title="hibiya_access_map" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya_access_map.gif" alt="" width="300" height="209" /></a>今回ご紹介する「日比谷公園」は、有楽町や銀座などからも徒歩圏内で、東京メトロ丸ノ内線・千代田線「<strong>霞ヶ関駅</strong>」、東京メトロ日比谷線・千代田線「<strong>日比谷駅</strong>」、都営地下鉄三田線「<strong>日比谷駅</strong>」下車出口すぐ。さらに、東京メトロ・有楽町線「<strong>桜田門駅</strong>」、JR「<strong>有楽町</strong>」下車・徒歩8分というアクセスがとても良い公園として、仕事や買い物で疲れた時に、ちょっと寄ってリフレッシュするには、とても良い場所です。<br />
年間を通じて、様々なイベントも多く開催されていますし、その季節の花々が楽しめます。ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょう。まさに、都心のオアシスとしておススメの公園です。</p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">日比谷公園の歴史</span></strong><br />
日比谷公園は、国内最初の洋風近代式公園として明治36年（1903）6月に開園しました。ここは、江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれた地でしたが、明治になると大名屋敷が廃されて更地となり、日比谷ヶ原と呼ばれました。<br />
造園するにあたって、江戸城に連なっていた堀を埋め立てる際に一部を心字池として残し、かつての石垣の一部「日比谷見附跡」を今でも見ることができます。<br />
明治38年（1905）8月、野外音楽堂（現在の野外小音楽堂）が竣工、大正12年（1923）に野外大音楽堂が完成しました。<br />
昭和46年（1971）には、沖縄返還運動により松本楼が全焼しましたが、昭和48年（1973）再建されました。<br />
平成23年（2011）7月1日、東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館は、「日比谷図書文化館」として開館しました。<br />
日比谷公園内には、明治期の数少ない近代洋風建築「旧日比谷公園事務所（東京都文化財）」、「日比谷公会堂・市政会館（東京都選定歴史的建造物）」、「京橋の欄干柱」、「南極の石」など歴史的な建物や珍しいものが設置されています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya01.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4349" title="旧日比谷公園事務所" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya01.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★旧日比谷公園事務所</strong></a><br />
日比谷公園の管理事務所として、明治43年（1910）11月に竣工しました。<br />
昭和51年（1976）に公園資料館として内部を改造しましたが、構造、外観の変更は旧態を留め、棹縁天井やベイウィンドーの腰掛け、階段などに当初の名残りがあります。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya02.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4352" title="心字池" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya02.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★心字池</strong></a><br />
開園前の濠を偲び造られ、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしています。禅宗の影響を受けた鎌倉、室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつです。<br />
池の中央にはカメの形をした小さな『カメの噴水』があります。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya03.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4355" title="日比谷見附跡" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya03.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★日比谷見附跡</strong></a><br />
江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の石垣の一部だけが、ここに残っています。<br />
城の外側から順に、高麗門（こまもん）・枡形（ますがた）・渡櫓（わたりやぐら）・番所が石垣でかこまれていました。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya04.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4358" title="日比谷野外音楽堂" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya04.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★日比谷野外音楽堂（小音楽堂）</strong></a><br />
明治38年（1905）に完成したわが国初の野外音楽堂。大正12年（1923）9月の関東大震災で倒壊しましたが後日再築されました。<br />
最大の特徴は、無料催事のみの貸し出しです。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya05.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4361" title="雲形池" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya05.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★雲形池</strong></a><br />
心字池と共に 日比谷公園開園当時からの面影を残すドイツ風庭園様式の池です。都市公園等の噴水としては、わが国で三番目に古いとされる、はばたく姿の鶴の噴水があります。近年はなかなか見られなくなっていますが、冬になると、噴水の鶴の広げた翼からいくつものつららが下がる姿は公園の冬の風物詩でした。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya06.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4365" title="市政会館" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya06.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★市政会館</strong></a><br />
当時の東京市長、後藤新平は、安田財閥・安田善次郎の寄付を受け、公園内に公会堂を付置した本格的なホールを備えた会館を昭和4年（1929）に竣工しました。これが、現在の市政会館と日比谷公会堂です。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya07.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-4371" title="三笠山" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya07.jpg" alt="" width="100" height="75" /><strong>★三笠山</strong></a><br />
公園造成時に、池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が三つの笠をふせた形に似ていたのでこの名が付いたと言われています。</p>
<h4><span style="color: #993300;">★日比谷松本楼の10円カレー</span></h4>
<p>日比谷公園と時を同じくしてオープンした日比谷松本楼は、3階建てのおしゃれな店として評判を呼び、当時のハイカラ好きな“モボ”や“モガ”のあいだでは「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが大流行したそうです。<br />
<img class="alignright size-full wp-image-4374" title="松本楼" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya08.jpg" alt="" width="250" height="188" />昭和46年（1971）秋、放火により松本楼は焼失しましたが、全国からのあたたかい励ましに支えられて、昭和48（1973）年に、新装再オープンすることができました。そのときの感謝の心をこめた、記念行事としてはじまったのが「10円カレーチャリティーセール」です。<br />
通常は880円の“ハイカラビーフカレー”が9月25日に限り、先着1500名が10円以上の寄付でカレーを食べられます。この日の売上は全額寄付されます。</p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！四季折々の風情が楽しめる都会のオアシスへ、ぜひ、訪れてみてください。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/09/hibiya_map.pdf" target="_blank">「日比谷公園散策」MAP</a></p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2016年8月号掲載）</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>隅田川川辺散策（隅田川テラス）と 橋ものがたり</title>
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		<pubDate>Thu, 21 Jul 2016 02:15:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[いよいよ夏休み！夏本番ですね。今年は梅雨らしい日が少なく、既に猛暑日を記録していますが、皆様いかがお過ごしでしょうか？ 暑い日にこそ、東京の水辺で涼やかなひとときを過ごしてみませんか。今回は、桜橋から永代橋までの「隅田川川辺散策」をご紹介します。暑さがひいた夕暮れ時の散策でも、なかなか楽しいですよ。写真は「佃島をバックにライトアップされた永代橋」です。 今年の隅田川花火大会は、７月３０日（土）です。花火大会のついでの散策も、混雑を避けた日に散策でも、味わい深い景色に遭遇できるでしょう。 隅田川・橋の歴史 現在「隅田川」と呼ばれているこの川は、古くは承和2年（835）の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称されていました。 江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川（おおかわ）とも呼ばれ、今でも時代劇や古典落語などでは「大川」として出てきます。ちなみに、大川右岸（下流に向かって）、特に吾妻橋周辺から佃周辺までを大川端（おおかわばた）と称しています。 江戸期の文禄3年（1594）に関東郡代が千住大橋を架橋します。寛文元年（1661）、明暦の大火を受けて江戸幕府は両国橋を架橋し、元禄年間に新大橋と永代橋を架橋。つづいて町方により吾妻橋が架橋されます。 明治期になると明治5年（1872）、永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋の4橋が架け替えられ、さらに厩橋、相生橋が架橋されました。 明治期ごろまでは多くの渡しによって両岸が結ばれていましたが、交通量の増加に伴い次第に木橋などで架橋が進んでいきます。後の関東大震災でその多くが被害を受けたために鋼橋に架け替えられ、更なる交通量の増加に伴い、多くの橋の建設が行われていき、それぞれが特徴のあるデザインとなっています。 近年では災害対策連絡橋を主とした橋や遊歩道的な歩行者専用橋なども架けられ、形や色など、よりバリエーションが豊かになっているので橋を眺めているだけでも楽しい１日が過ごせます。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。 隅田川テラス 隅田川の左右両岸には散策路が順次整備されています。平日の昼時にはサラリーマンやOLが休憩する姿が見られ、休日にはジョギングや犬の散歩をする近隣住民の姿が見られます。 ★吾妻橋〔あづまばし〕 安永3年（1774）創架。 橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれたが、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。 明治9年（1876）2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。 ★両国橋〔りょうごくばし〕 創架年は万治2年（1659）と寛文元年（1661）と2説ある。名称は当初「大橋」と名付けられていた。しかしながら西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、元禄6年に新大橋が架橋されると正式名称となった。 ★新大橋〔しんおおはし〕 元禄6年（1694）創架。 「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。 ★永代橋〔えいたいばし〕 元禄11年（1698）創架。 赤穂義士が引き揚げのとき渡ったことで有名な永代橋は、第5代将軍・徳川綱吉の50歳の誕生日を記念して架橋。「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説がある。 文化4年（1807）には富岡八幡の祭礼の群衆の重さで橋が破れ、1500人余が隅田川に落ちるという惨事が起きた。 春夏秋冬、朝から夜まで、様々な景色を魅せてくれる東京の水辺「隅田川」。暑い夏の季節には、涼を求めて、のんびり散策も良いですね。 今回も散策MAPはPDFでアップしました！ぜひ、訪れてみてください。 ⇒「隅田川川辺散策（隅田川テラス）と 橋ものがたり」MAP 【江戸歳時記】都鳥（みやこどり） 昭和40年（1965）10月１日に「都鳥＝都の鳥」ということから、ユリカモメ（写真）が都民の鳥として指定されました。この都民の鳥は、本当に「ユリカモメ」なのか、それとも本物の「ミヤコドリ」なのでしょうか。 在原業平の伊勢物語では「都鳥」のことを「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」と説明していて、大きさや体の特徴、水面を泳ぎながら魚を食べている事などから、この鳥はユリカモメと推定されています。ところが、江戸時代より前の隅田川辺では古くからチドリ類のミヤコドリを都鳥と呼んでいたとする説や貝原益軒もミヤコドリ説を唱えています。 つまり「都鳥」は、特徴からカモメ科のユリカモメを指している事もあれば、ミヤコドリ科のミヤコドリを指しているものもあり、どちらなのか判らない場合の方が多いのです。 隅田川の優雅な 船旅が楽しめる 水上バス。 散策の片道を隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅をしてはいかがでしょうか。「浅草」と「日の出桟橋」との間にかかる全部12の橋や、名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、散策の予習・復習として、江戸の情緒と、東京の「今」が別の角度から発見できるかもしれませんね。 最後に、浅草寺の雷門付近を散策されるなら、雷門近くのスーパーマーケット「オオゼキ」で販売中の『マカ陶陶酒』もよろしくお願いいたします。持ち運びに便利なポケット瓶もございます。 （「健康な暮らし」2015年8月号掲載）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>いよいよ夏休み！夏本番ですね。今年は梅雨らしい日が少なく、既に猛暑日を記録していますが、皆様いかがお過ごしでしょうか？<br />
暑い日にこそ、東京の水辺で涼やかなひとときを過ごしてみませんか。今回は、桜橋から永代橋までの「隅田川川辺散策」をご紹介します。暑さがひいた夕暮れ時の散策でも、なかなか楽しいですよ。写真は「佃島をバックにライトアップされた永代橋」です。<br />
今年の隅田川花火大会は、７月３０日（土）です。花火大会のついでの散策も、混雑を避けた日に散策でも、味わい深い景色に遭遇できるでしょう。</p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">隅田川・橋の歴史</span></strong><br />
現在「隅田川」と呼ばれているこの川は、古くは承和2年（835）の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称されていました。<br />
江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川（おおかわ）とも呼ばれ、今でも時代劇や古典落語などでは「大川」として出てきます。ちなみに、大川右岸（下流に向かって）、特に吾妻橋周辺から佃周辺までを大川端（おおかわばた）と称しています。<br />
<div id="attachment_3807" class="wp-caption alignright" style="width: 310px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_02.jpg"><img class="size-full wp-image-3807" title="両国橋の浮世絵" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_02.jpg" alt="" width="300" height="200" /></a><p class="wp-caption-text">葛飾北斎「 冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」 左が1830年頃の両国橋。</p></div>江戸期の文禄3年（1594）に関東郡代が千住大橋を架橋します。寛文元年（1661）、明暦の大火を受けて江戸幕府は両国橋を架橋し、元禄年間に新大橋と永代橋を架橋。つづいて町方により吾妻橋が架橋されます。<br />
明治期になると明治5年（1872）、永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋の4橋が架け替えられ、さらに厩橋、相生橋が架橋されました。<br />
明治期ごろまでは多くの渡しによって両岸が結ばれていましたが、交通量の増加に伴い次第に木橋などで架橋が進んでいきます。後の関東大震災でその多くが被害を受けたために鋼橋に架け替えられ、更なる交通量の増加に伴い、多くの橋の建設が行われていき、それぞれが特徴のあるデザインとなっています。<br />
近年では災害対策連絡橋を主とした橋や遊歩道的な歩行者専用橋なども架けられ、形や色など、よりバリエーションが豊かになっているので橋を眺めているだけでも楽しい１日が過ごせます。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_01.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-3800" title="隅田川テラス" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_01.jpg" alt="" width="68" height="68" /><strong><span style="font-size: large;">隅田川テラス</span></strong></a><br />
隅田川の左右両岸には散策路が順次整備されています。平日の昼時にはサラリーマンやOLが休憩する姿が見られ、休日にはジョギングや犬の散歩をする近隣住民の姿が見られます。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_map.gif"><img class="aligncenter size-full wp-image-3849" title="隅田川川辺散策マップ" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_map.gif" alt="" width="681" height="776" /></a></p>
<p><strong>★吾妻橋〔あづまばし〕</strong><br />
安永3年（1774）創架。<br />
橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれたが、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。<br />
明治9年（1876）2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。</p>
<div id="attachment_3815" class="wp-caption aligncenter" style="width: 710px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_03.jpg"><img class="size-full wp-image-3815" title="吾妻橋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_03.jpg" alt="" width="700" height="450" /></a><p class="wp-caption-text">左に見えるのが吾妻橋</p></div>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_04.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-3820" title="両国橋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_04.jpg" alt="" width="100" height="74" /><strong>★両国橋〔りょうごくばし〕</strong></a><br />
創架年は万治2年（1659）と寛文元年（1661）と2説ある。名称は当初「大橋」と名付けられていた。しかしながら西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、元禄6年に新大橋が架橋されると正式名称となった。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_05.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-3830" title="新大橋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_05.jpg" alt="" width="100" height="74" /><strong>★新大橋〔しんおおはし〕</strong></a><br />
元禄6年（1694）創架。<br />
「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_06.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-3831" title="永代橋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_06.jpg" alt="" width="100" height="74" /><strong>★永代橋〔えいたいばし〕</strong></a><br />
元禄11年（1698）創架。<br />
赤穂義士が引き揚げのとき渡ったことで有名な永代橋は、第5代将軍・徳川綱吉の50歳の誕生日を記念して架橋。「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説がある。<br />
文化4年（1807）には富岡八幡の祭礼の群衆の重さで橋が破れ、1500人余が隅田川に落ちるという惨事が起きた。</p>
<p>春夏秋冬、朝から夜まで、様々な景色を魅せてくれる東京の水辺「隅田川」。暑い夏の季節には、涼を求めて、のんびり散策も良いですね。</p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしました！ぜひ、訪れてみてください。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_map.pdf" target="_blank">「隅田川川辺散策（隅田川テラス）と 橋ものがたり」MAP</a></p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #000080;">【江戸歳時記】都鳥（みやこどり）</span></strong><br />
<img class="alignright size-full wp-image-3834" title="都鳥" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_07.jpg" alt="" width="150" height="100" />昭和40年（1965）10月１日に「都鳥＝都の鳥」ということから、ユリカモメ（写真）が都民の鳥として指定されました。この都民の鳥は、本当に「ユリカモメ」なのか、それとも本物の「ミヤコドリ」なのでしょうか。<br />
在原業平の伊勢物語では「都鳥」のことを「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」と説明していて、大きさや体の特徴、水面を泳ぎながら魚を食べている事などから、この鳥はユリカモメと推定されています。ところが、江戸時代より前の隅田川辺では古くからチドリ類のミヤコドリを都鳥と呼んでいたとする説や貝原益軒もミヤコドリ説を唱えています。<br />
つまり「都鳥」は、特徴からカモメ科のユリカモメを指している事もあれば、ミヤコドリ科のミヤコドリを指しているものもあり、どちらなのか判らない場合の方が多いのです。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_08.jpg"><img class="size-full wp-image-3837 alignleft" title="水上バス" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/07/sumida_08.jpg" alt="" width="80" height="120" /><strong><span style="font-size: large;">隅田川の優雅な 船旅が楽しめる 水上バス。</span></strong></a><br />
散策の片道を隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅をしてはいかがでしょうか。「浅草」と「日の出桟橋」との間にかかる全部12の橋や、名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、散策の予習・復習として、江戸の情緒と、東京の「今」が別の角度から発見できるかもしれませんね。<br />
最後に、浅草寺の雷門付近を散策されるなら、<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/?p=6490">雷門近くのスーパーマーケット「オオゼキ」で販売中の『マカ陶陶酒』</a>もよろしくお願いいたします。持ち運びに便利なポケット瓶もございます。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2015年8月号掲載）</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a></p>
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		<title>山王日枝神社と坂道を巡る「赤坂界隈散策」</title>
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		<pubDate>Mon, 06 Jun 2016 00:52:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
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		<category><![CDATA[陶陶酒販売]]></category>

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		<description><![CDATA[京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」と共に、日本三大祭りの1つである日枝神社の「山王祭」が、今年2016年は、6月7日（火）から6月17日（金）まで開催されます。ぜひ、この時期に、高層ビルと伝統のあるお店が共存する、歴史のある大人の街「赤坂」を訪れてみてはいかがでしょう。 赤坂・山王日枝神社の歴史 「赤坂」という地名の由来は、茜が群生していた場所で「茜坂」と呼ばれていたものが赤坂に転じた説。また、紀伊国坂と赤土の土壌から赤坂と呼ばれたという説があるようです。 赤坂といえば「一ツ木通り」というほど有名な通りですが、1567年「人継（ひとつぎ）村」として開拓され、江戸時代になり町屋や武家屋敷が作られた事をきっかけに次第に町として発展して行ったと言われています。天正18年（1590）、徳川家康が江戸城に向かう際にも、この道を通ったそうです。 地下鉄赤坂見附駅の東南側に建つ山王日枝神社は、縁結びや、子授け・安産祈願に訪れる参拝客でにぎわっています。 創建の年代ははっきりしませんが、江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年（1478）、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越山王社を勧請したのに始まると言われています。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に移し、江戸城の鎮守としました。その後、慶長9年（1604）からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外、今の隼町国立劇場附近に移し、庶民が参拝できるようになります。 明暦3年（1657）、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年（1659）、将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に移りました。昭和20年（1945）の東京大空襲で社殿が焼失しましたが、昭和33年（1958）に再建されました。 高橋是清翁記念公園 明治時代後期、日本の金融界の重鎮として、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清（1854～1936）の邸宅跡。昭和13年、記念事業会 が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和50年に港区が管理をするようになりました。カエデ、モッコク、ウラジロガシなどの広葉樹が四季を彩り、中央の池泉のまわりには石橋や石人像、石灯篭が配置され、荘厳な雰囲気さえ漂う、日本庭園の趣きをもった公園です。 豊川稲荷別院 江戸時代、大岡越前守が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊を祀る曹洞宗の寺院。明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至っています。一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像してしまいますが、神社でなく寺院で、お祀りされているのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）です。豊川ダ枳尼眞天とは、霊験あらたかな仏法守護の善神です。稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豊川稲荷」が通称として広まったのだそうです。 赤坂サカス 平性20年（2008）の春に誕生した、TBS放送センターを中心に、赤坂ACTシアター、赤坂BLITZを備え、イベント、演劇、音楽、そしてショッピングにグルメが楽しめる、魅力あふれる複合エンターテインメントエリアです。赤坂サカスというネーミングは、2月中旬の河津桜に始まり4月下旬の八重桜まで、約100本の桜が咲き競うことから「桜を咲かす」というところからと、他に三分坂、薬研坂、丹後坂、牛鳴坂等々、赤坂に存在する坂の数々より、「赤坂にたくさんある坂＝坂s＝サカス」、赤坂サカスをローマ字表記(Akasaka Sacas)にして右から読むと「SACA・SAKA・SAKA」＝「坂・坂・坂」になることなど、赤坂という土地の持つ、「和」のイメージを重視してつけられたそうです。 この周辺の主な坂道の名称と由来 (1)紀伊国坂〔きのくにざか〕 坂の西側に紀州（和歌山県）徳川家の広大な屋敷があったことから。赤坂の起源とする説がある。【元赤坂 2-1、千代田区との境】 (2)弾正坂〔だんじょうざか〕 西側に代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かった吉井藩松平氏の屋敷があったため｡【赤坂4丁目9番、4丁目18番の間】 (3)牛鳴坂〔うしなきざか〕 赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう。【赤坂4丁目1番、4丁目8番の間】 (4)丹後坂〔たんござか〕 元禄初年（1688）当時、東北側に米倉丹後守（西尾丹後守ともいう）の邸があった。【赤坂4丁目2番、4丁目5番の間】 (5)薬研坂〔やげんざか〕 中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているため名付けられた｡付近住民の名で何右衛門坂とも呼んでいた。青山通り（国道246号線）の赤坂支所前の信号のある交差点から南にいったん下り、さらに上る坂道。つまり、南北２つの坂が対になって「薬研坂」と呼ばれている。【赤坂4丁目17番、7丁目1番の間】 (6)円通寺坂〔えんつうじざか〕 新宿通りから，四谷二丁目と三丁目の境界を南に 円通寺前に下る坂。坂名は、元禄八年（1695）に付近から坂上南側に移転した寺院の名称「円通寺」からとった。それ以前に同名の別院があったともいう。 【赤坂4丁目13番、5丁目2番の間】 (7)三分坂〔さんぷんざか〕 急坂のため、通る車賃が銀三分（さんぷん・百円余）増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説も。【赤坂5丁目5番、7丁目6番の間】 &#160; 歴史と今を感じられる赤坂、坂道もゆっくりと歩いて足腰をより元気に。ここに登場する坂を巡っただけでも、かなりの鍛錬でした。ちょっと頑張ってお疲れ気味の時など、散歩途中か帰りがけに「やまや赤坂店」で、アミノ酸がたっぷり含んだ素材が溶け込んでいる陶陶酒の購入などはいかがでしょうか。看板はアルファベットで「La Cave de YAMAYA」となっています。 今回も散策MAPはPDFでアップ！ぜひ、巡ってみてください。 ⇒山王日枝神社と坂道を巡る「赤坂界隈散策」MAP 【赤坂から寄り道散策】～弁慶橋から紀尾井坂、そして清水谷公園へ 弁慶橋は明治22年にかけられたもので、橋の名は、弁慶小左衛門という橋の設計者の苗字をとってつけられたそうです。現在の橋は昭和60年12月に築造されたものです。 弁慶橋のたもとにはボートハウスがあり、ボート遊びができるので最高のデートスポットと言えるでしょう。 橋を渡ると、左手には「弁慶掘遊歩道」。この地は、加藤清正→井伊家→伏見宮家→ホテルニューオータニと所有者が変わりましたが、その一部、濠沿いの道が遊歩道となって一般に解放されています。 橋の先に延びるこの遊歩道を散策しながら進むと、ホテルニューオータニの敷地を抜けて、目の前が紀尾井ホールで、右手には、明治11年、大久保利通が島田一郎らに襲われた「紀尾井坂の変」で有名な「紀尾井坂」があります。このあたり一帯は、紀伊・尾張・井伊の御三家の屋敷があったことから、この３つの文字を合わせた「紀尾井町」と名付けられています。紀尾井坂もその御三家があったことが由来していますが、坂下に清水谷があることから清水坂ともいわれています。 紀尾井坂から南に向かう紀尾井町通りを進むと「清水谷公園」があります。 清水谷公園には、千代田区の文化財に指定されている大久保利通の業績を称える石碑や麹町大通り拡幅工事の際に出土した玉川上水の石枡が展示してあります。 公園前の紀尾井町通りは、日本の桜の代表格「ソメイヨシノ」が散る頃、八重桜（関山や普賢象）が咲き誇り、桃色の並木になります。通りを南下していけば、また弁慶橋が見えてきます。グルっと一周のちょっとした散策コースです。 （「健康な暮らし」2016年6月号掲載）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」と共に、日本三大祭りの1つである日枝神社の「山王祭」が、今年2016年は、6月7日（火）から6月17日（金）まで開催されます。ぜひ、この時期に、高層ビルと伝統のあるお店が共存する、歴史のある大人の街「赤坂」を訪れてみてはいかがでしょう。</p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #800000;">赤坂・山王日枝神社の歴史</span></strong><br />
「赤坂」という地名の由来は、茜が群生していた場所で「茜坂」と呼ばれていたものが赤坂に転じた説。また、紀伊国坂と赤土の土壌から赤坂と呼ばれたという説があるようです。<br />
<div id="attachment_3280" class="wp-caption alignright" style="width: 310px"><img class="size-full wp-image-3280" title="一ツ木通り" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka_02.jpg" alt="" width="300" height="300" /><p class="wp-caption-text">赤坂といえば「一ツ木通り」</p></div>赤坂といえば「一ツ木通り」というほど有名な通りですが、1567年「人継（ひとつぎ）村」として開拓され、江戸時代になり町屋や武家屋敷が作られた事をきっかけに次第に町として発展して行ったと言われています。天正18年（1590）、徳川家康が江戸城に向かう際にも、この道を通ったそうです。<br />
地下鉄赤坂見附駅の東南側に建つ山王日枝神社は、縁結びや、子授け・安産祈願に訪れる参拝客でにぎわっています。<br />
創建の年代ははっきりしませんが、江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明10年（1478）、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越山王社を勧請したのに始まると言われています。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に移し、江戸城の鎮守としました。その後、慶長9年（1604）からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外、今の隼町国立劇場附近に移し、庶民が参拝できるようになります。<br />
明暦3年（1657）、明暦の大火により社殿を焼失したため、万治2年（1659）、将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に移りました。昭和20年（1945）の東京大空襲で社殿が焼失しましたが、昭和33年（1958）に再建されました。</p>
<p><img class="alignright" title="高橋是清翁記念公園" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka03.jpg" alt="" width="155" height="116" /><strong>高橋是清翁記念公園</strong><br />
明治時代後期、日本の金融界の重鎮として、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清（1854～1936）の邸宅跡。昭和13年、記念事業会<br />
が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和50年に港区が管理をするようになりました。カエデ、モッコク、ウラジロガシなどの広葉樹が四季を彩り、中央の池泉のまわりには石橋や石人像、石灯篭が配置され、荘厳な雰囲気さえ漂う、日本庭園の趣きをもった公園です。</p>
<p><img class="alignright" title="豊川稲荷別院" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka04.jpg" alt="" width="155" height="116" /><strong>豊川稲荷別院</strong><br />
江戸時代、大岡越前守が日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊を祀る曹洞宗の寺院。明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至っています。一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は「狐を祀った神社」を想像してしまいますが、神社でなく寺院で、お祀りされているのは鎮守・豊川ダ枳尼眞天（とよかわだきにしんてん）です。豊川ダ枳尼眞天とは、霊験あらたかな仏法守護の善神です。稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豊川稲荷」が通称として広まったのだそうです。</p>
<p><div class="wp-caption alignright" style="width: 148px"><img title="TBS放送センター" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka05.jpg" alt="" width="138" height="103" /><p class="wp-caption-text">TBS放送センター</p></div><strong>赤坂サカス</strong><br />
平性20年（2008）の春に誕生した、TBS放送センターを中心に、赤坂ACTシアター、赤坂BLITZを備え、イベント、演劇、音楽、そしてショッピングにグルメが楽しめる、魅力あふれる複合エンターテインメントエリアです。赤坂サカスというネーミングは、2月中旬の河津桜に始まり4月下旬の八重桜まで、約100本の桜が咲き競うことから「桜を咲かす」というところからと、他に三分坂、薬研坂、丹後坂、牛鳴坂等々、赤坂に存在する坂の数々より、「赤坂にたくさんある坂＝坂s＝サカス」、赤坂サカスをローマ字表記(Akasaka Sacas)にして右から読むと「SACA・SAKA・SAKA」＝「坂・坂・坂」になることなど、赤坂という土地の持つ、「和」のイメージを重視してつけられたそうです。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka_map.gif"><img class="aligncenter size-full wp-image-3223" title="赤坂イラストマップ" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka_map.gif" alt="" width="701" height="651" /></a></p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #800000;">この周辺の主な坂道の名称と由来</span></strong></p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka06.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1270 alignright" title="紀伊国坂" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka06.jpg" alt="紀伊国坂" width="68" height="68" /><strong>(1)紀伊国坂〔きのくにざか〕</strong></a><br />
坂の西側に紀州（和歌山県）徳川家の広大な屋敷があったことから。赤坂の起源とする説がある。【元赤坂 2-1、千代田区との境】</p>
<p><strong>(2)弾正坂〔だんじょうざか〕</strong><br />
西側に代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かった吉井藩松平氏の屋敷があったため｡【赤坂4丁目9番、4丁目18番の間】</p>
<p><strong>(3)牛鳴坂〔うしなきざか〕</strong><br />
赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため名づけられた。さいかち坂ともいう。【赤坂4丁目1番、4丁目8番の間】</p>
<p><strong>(4)丹後坂〔たんござか〕</strong><br />
元禄初年（1688）当時、東北側に米倉丹後守（西尾丹後守ともいう）の邸があった。【赤坂4丁目2番、4丁目5番の間】</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/062/akasaka07.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1270 alignright" title="薬研坂" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka07.jpg" alt="薬研坂" width="68" height="68" /><strong>(5)薬研坂〔やげんざか〕</strong></a><br />
中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているため名付けられた｡付近住民の名で何右衛門坂とも呼んでいた。青山通り（国道246号線）の赤坂支所前の信号のある交差点から南にいったん下り、さらに上る坂道。つまり、南北２つの坂が対になって「薬研坂」と呼ばれている。【赤坂4丁目17番、7丁目1番の間】</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka08.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1270 alignright" title="円通寺" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka08.jpg" alt="円通寺" width="68" height="68" /><strong>(6)円通寺坂〔えんつうじざか〕</strong></a><br />
新宿通りから，四谷二丁目と三丁目の境界を南に 円通寺前に下る坂。坂名は、元禄八年（1695）に付近から坂上南側に移転した寺院の名称「円通寺」からとった。それ以前に同名の別院があったともいう。 【赤坂4丁目13番、5丁目2番の間】</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka09.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1270 alignright" title="三分坂" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka09.jpg" alt="三分坂" width="68" height="68" /><strong>(7)三分坂〔さんぷんざか〕</strong></a><br />
急坂のため、通る車賃が銀三分（さんぷん・百円余）増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説も。【赤坂5丁目5番、7丁目6番の間】</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>歴史と今を感じられる赤坂、坂道もゆっくりと歩いて足腰をより元気に。ここに登場する坂を巡っただけでも、かなりの鍛錬でした。ちょっと頑張ってお疲れ気味の時など、散歩途中か帰りがけに「やまや赤坂店」で、アミノ酸がたっぷり含んだ素材が溶け込んでいる陶陶酒の購入などはいかがでしょうか。看板はアルファベットで「La Cave de YAMAYA」となっています。</p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップ！ぜひ、巡ってみてください。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka_map.pdf" target="_blank">山王日枝神社と坂道を巡る「赤坂界隈散策」MAP</a></p>
<p><strong><span style="font-size: large; color: #800000;">【赤坂から寄り道散策】～弁慶橋から紀尾井坂、そして清水谷公園へ</span></strong><br />
<div id="attachment_3226" class="wp-caption alignright" style="width: 160px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka.jpg"><img class="size-full wp-image-3226" title="弁慶橋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka.jpg" alt="" width="150" height="113" /></a><p class="wp-caption-text">弁慶橋を臨む</p></div>弁慶橋は明治22年にかけられたもので、橋の名は、弁慶小左衛門という橋の設計者の苗字をとってつけられたそうです。現在の橋は昭和60年12月に築造されたものです。<br />
弁慶橋のたもとにはボートハウスがあり、ボート遊びができるので最高のデートスポットと言えるでしょう。<br />
橋を渡ると、左手には「弁慶掘遊歩道」。この地は、加藤清正→井伊家→伏見宮家→ホテルニューオータニと所有者が変わりましたが、その一部、濠沿いの道が遊歩道となって一般に解放されています。<br />
橋の先に延びるこの遊歩道を散策しながら進むと、ホテルニューオータニの敷地を抜けて、目の前が紀尾井ホールで、右手には、明治11年、大久保利通が島田一郎らに襲われた「紀尾井坂の変」で有名な「紀尾井坂」があります。このあたり一帯は、紀伊・尾張・井伊の御三家の屋敷があったことから、この３つの文字を合わせた「紀尾井町」と名付けられています。紀尾井坂もその御三家があったことが由来していますが、坂下に清水谷があることから清水坂ともいわれています。<br />
<div id="attachment_3344" class="wp-caption alignright" style="width: 160px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka10.jpg"><img class="size-full wp-image-3344" title="清水谷公園" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/akasaka10.jpg" alt="" width="150" height="112" /></a><p class="wp-caption-text">清水谷公園</p></div>紀尾井坂から南に向かう紀尾井町通りを進むと「清水谷公園」があります。<br />
清水谷公園には、千代田区の文化財に指定されている大久保利通の業績を称える石碑や麹町大通り拡幅工事の際に出土した玉川上水の石枡が展示してあります。<br />
公園前の紀尾井町通りは、日本の桜の代表格「ソメイヨシノ」が散る頃、八重桜（関山や普賢象）が咲き誇り、桃色の並木になります。通りを南下していけば、また弁慶橋が見えてきます。グルっと一周のちょっとした散策コースです。</p>
<p><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2016年6月号掲載）</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/list.php?category_id=200" target="_blank"><img class="aligncenter size-full wp-image-1625" title="ad_deru" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/ad_deru.jpg" alt="" width="701" height="131" /></a></p>
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		<title>皇居「東御苑」散策</title>
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		<pubDate>Tue, 10 May 2016 04:09:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸城（皇居東御苑）は、天正18年（1590）の徳川家康公入城以来、三代将軍家光公、寛永13年（1636）の完成。その当時の面影を残し、現在は、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に無料開放しています。 出入りができるのは、大手門・平川門・北桔橋門の3門のみです。（入園の際は、各窓口で入園票を受け取り、退園の際はお返しください。）なお、各門とも駐車場はありません。主な交通アクセスは、東京メトロの丸の内線・東西線・千代田線・半蔵門線「大手町駅」C10出口から徒歩5分で「大手門」へ。東京メトロの東西線「竹橋駅」1A出口から徒歩5分で「平川門」か「北桔梗門」へとなります。 開演時間は季節によって違いますので、ご注意ください。 3月1日～4月14日⇒9:00～16:30（入園は16:00まで） 4月15日～8月末日⇒9:00～17:00（入園は17:00まで） 9月1日～10月末日⇒9:00～16:30（入園は16:00まで） 11月1日～2月末日⇒9:00～16:00（入園は15:30まで） 休園日は月曜日と金曜日（ただし、天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日は公開、月曜日が休日で公開する場合は、火曜日が休園となります）です。また、12月28日から翌年1月3日までも休園の他、行事の実施など、その他やむ得ない理由のため支障がある場合は休園となります。 【1】天守台 江戸城の天守は、慶長11年（1606）の家康、元和8年（1622）の秀忠、寛永15年（1638）の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、寛永の天守は、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。 この天守は、明暦3年（1657）の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18ｍの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、三代将軍徳川家光の異母弟で四代将軍綱吉の叔父である保科正之の「戦国の世の象徴である天守閣より、城下の復興を優先すべき」との提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのです。現在、東西約41ｍ、南北約45ｍ、高さ11mの石積みが残っています。 【2】大手門 大手門は、江戸城の正面門であり、ここから旧江戸城の皇居御苑に入ることができます。 この門は、特に重要な門であるため、馬上9人、徒侍3人、足軽30人、仲間20人、鉄砲20丁、弓10張、長槍20筋、持筒2丁、持弓2組、提灯30で警護にあたりました。 この門は江戸城の本丸に登城する際の正門であるため特に堅固に作られていました。 【3】北桔橋門 北桔橋門は、有事に備えて橋が跳ね上がる仕組みになっていました。太田道灌の時代には、この付近が城の大手（正面）であったと伝えられ、江戸時代は門を入った所に江戸城本丸の天守閣がありました。現在は、冠木門と橋だけが残っています。 【4】平川門 城内で死人や罪人が出ると、この門から外に出されたため“不浄門”と呼ばれていました。 殿中で刃傷に及んだ浅野内匠頭もこの門から出されたそうです。また奥女中の通用門としても使われたため、お局御門とも呼ばれています。 【5】百人番所 大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たりました。 【6】諏訪の茶屋 諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区（現在の御所のある一帯）にありました。この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、ここに移されました。 【7】松の廊下跡 本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約１９メートル、北へ約３１メートル、幅は約５メートルであったと伝えられています。障壁画に「松」が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。 【8】同心番所・大手三の門跡 江戸城へ登城する大名の供を監視しました。同心番所には大手三門を警護する与力・同心がつめていました。尾張・紀伊・水戸の徳川御三家を除くすべての大名・役人はここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登ったそうです。このことから、大手三の門を下乗門とも呼ばれたそうです。 【9】富士見櫓 歴代の城主が品川の海や富士山をご覧になったといわれている櫓。 現存の三重櫓は、万治２年（１６５９年）の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。 二の丸庭園と二の丸池 もとは小堀遠州が造った庭園でしたが、何度も火災で焼失し、明治以降は荒れ果てていたのを昭和43年の東御苑公開にあわせて９代将軍・徳川家重の時代の絵図面を参考にして回遊式庭園として復原されました。現在は各都道府県の木など様々な植物が多数植えられ、訪れる人の目を楽しませてくれます。 池には水源が３つあります。南側の２つの水源は、ひとつに合流して小川となり、菖蒲田を経て、池に注ぎます。もうひとつは北側の高みにあり、滝となって池に落ちています。池には洲浜が作られ、雪見燈籠も置かれています。また、池にはインドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配させた、尾びれや胸びれが普通の鯉よりも長い、「ヒレナガニシキゴイ」という変わった鯉が泳いでいます。 皇居東御苑は、東京ドームの4.5倍の広さがあり、上記のような、忠臣蔵の舞台である「松の廊下跡」や、江戸城天守跡「天守台」、江戸城本丸の遺構である「富士見櫓」などの史跡が残っています。また、桜、梅、つつじ、菖蒲、ツバキ、サザンカ、水仙などが育ち、一年を通じて四季折々の花々を観賞できる、都心の広大な緑のオアシスとなっています。 散策MAPはPDFでアップしておきますので、確認してみてください。 ⇒皇居「東御苑」散策MAP 皇居外苑もあわせてグルっと回るのもオススメです。外国人の観光客と修学旅行の生徒を、いたる所で見かける人気のルートにもなっているようです。外から見上げる巽櫓もなかなか良いですよ。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。 （「健康な暮らし」2013年12月号掲載） &#160;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>江戸城（皇居東御苑）は、天正18年（1590）の徳川家康公入城以来、三代将軍家光公、寛永13年（1636）の完成。その当時の面影を残し、現在は、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に無料開放しています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/higashigyoen_access.gif"><img class="alignright size-full wp-image-2823" title="アクセスマップ" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/higashigyoen_access.gif" alt="" width="250" height="306" /></a>出入りができるのは、大手門・平川門・北桔橋門の3門のみです。（入園の際は、各窓口で入園票を受け取り、退園の際はお返しください。）なお、各門とも駐車場はありません。主な交通アクセスは、東京メトロの丸の内線・東西線・千代田線・半蔵門線「大手町駅」C10出口から徒歩5分で「大手門」へ。東京メトロの東西線「竹橋駅」1A出口から徒歩5分で「平川門」か「北桔梗門」へとなります。</p>
<p>開演時間は季節によって違いますので、ご注意ください。<br />
3月1日～4月14日⇒9:00～16:30（入園は16:00まで）<br />
4月15日～8月末日⇒9:00～17:00（入園は17:00まで）<br />
9月1日～10月末日⇒9:00～16:30（入園は16:00まで）<br />
11月1日～2月末日⇒9:00～16:00（入園は15:30まで）</p>
<p>休園日は月曜日と金曜日（ただし、天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日は公開、月曜日が休日で公開する場合は、火曜日が休園となります）です。また、12月28日から翌年1月3日までも休園の他、行事の実施など、その他やむ得ない理由のため支障がある場合は休園となります。</p>
<p><strong>【1】天守台</strong><br />
<img class="aligncenter size-full wp-image-2832" title="天守台" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/tenshudai.jpg" alt="" width="700" height="400" />江戸城の天守は、慶長11年（1606）の家康、元和8年（1622）の秀忠、寛永15年（1638）の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、寛永の天守は、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。<br />
この天守は、明暦3年（1657）の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18ｍの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、三代将軍徳川家光の異母弟で四代将軍綱吉の叔父である保科正之の「戦国の世の象徴である天守閣より、城下の復興を優先すべき」との提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのです。現在、東西約41ｍ、南北約45ｍ、高さ11mの石積みが残っています。</p>
<p><strong>【2】大手門</strong><br />
<img class="aligncenter size-full wp-image-2835" title="大手門" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/otemon.jpg" alt="" width="700" height="320" />大手門は、江戸城の正面門であり、ここから旧江戸城の皇居御苑に入ることができます。<br />
この門は、特に重要な門であるため、馬上9人、徒侍3人、足軽30人、仲間20人、鉄砲20丁、弓10張、長槍20筋、持筒2丁、持弓2組、提灯30で警護にあたりました。<br />
この門は江戸城の本丸に登城する際の正門であるため特に堅固に作られていました。</p>
<p><strong>【3】北桔橋門</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/kitakikyoumon.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2838" title="北桔梗門" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/kitakikyoumon.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>北桔橋門は、有事に備えて橋が跳ね上がる仕組みになっていました。太田道灌の時代には、この付近が城の大手（正面）であったと伝えられ、江戸時代は門を入った所に江戸城本丸の天守閣がありました。現在は、冠木門と橋だけが残っています。</p>
<p><strong>【4】平川門</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/hirakawamon.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2844" title="平川門" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/hirakawamon.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>城内で死人や罪人が出ると、この門から外に出されたため“不浄門”と呼ばれていました。<br />
殿中で刃傷に及んだ浅野内匠頭もこの門から出されたそうです。また奥女中の通用門としても使われたため、お局御門とも呼ばれています。</p>
<p><strong>【5】百人番所</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/100ninbanya.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2855" title="百人番屋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/100ninbanya.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たりました。</p>
<p><strong>【6】諏訪の茶屋</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/suwanochaya.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2849" title="諏訪の茶屋" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/suwanochaya.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区（現在の御所のある一帯）にありました。この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、ここに移されました。</p>
<p><strong>【7】松の廊下跡</strong><br />
本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約１９メートル、北へ約３１メートル、幅は約５メートルであったと伝えられています。障壁画に「松」が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。</p>
<p><strong>【8】同心番所・大手三の門跡</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/doshinbansho.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2852" title="同心番所" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/doshinbansho.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>江戸城へ登城する大名の供を監視しました。同心番所には大手三門を警護する与力・同心がつめていました。尾張・紀伊・水戸の徳川御三家を除くすべての大名・役人はここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登ったそうです。このことから、大手三の門を下乗門とも呼ばれたそうです。</p>
<p><strong>【9】富士見櫓</strong><br />
<img class="aligncenter size-full wp-image-2868" title="富士見櫓" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/fujimiyagura.jpg" alt="" width="700" height="320" />歴代の城主が品川の海や富士山をご覧になったといわれている櫓。<br />
現存の三重櫓は、万治２年（１６５９年）の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。</p>
<p><strong>二の丸庭園と二の丸池</strong><br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/ninomaru.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2860" title="二の丸池" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/ninomaru.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>もとは小堀遠州が造った庭園でしたが、何度も火災で焼失し、明治以降は荒れ果てていたのを昭和43年の東御苑公開にあわせて９代将軍・徳川家重の時代の絵図面を参考にして回遊式庭園として復原されました。現在は各都道府県の木など様々な植物が多数植えられ、訪れる人の目を楽しませてくれます。<br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/koi.jpg"><img class="size-full wp-image-2863 alignleft" title="ヒレナガニシキゴイ" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/koi.jpg" alt="" width="128" height="80" /></a>池には水源が３つあります。南側の２つの水源は、ひとつに合流して小川となり、菖蒲田を経て、池に注ぎます。もうひとつは北側の高みにあり、滝となって池に落ちています。池には洲浜が作られ、雪見燈籠も置かれています。また、池にはインドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配させた、尾びれや胸びれが普通の鯉よりも長い、「ヒレナガニシキゴイ」という変わった鯉が泳いでいます。</p>
<p>皇居東御苑は、東京ドームの4.5倍の広さがあり、上記のような、忠臣蔵の舞台である「松の廊下跡」や、江戸城天守跡「天守台」、江戸城本丸の遺構である「富士見櫓」などの史跡が残っています。また、桜、梅、つつじ、菖蒲、ツバキ、サザンカ、水仙などが育ち、一年を通じて四季折々の花々を観賞できる、都心の広大な緑のオアシスとなっています。</p>
<p>散策MAPはPDFでアップしておきますので、確認してみてください。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/higashigyen_map.pdf">皇居「東御苑」散策MAP</a></p>
<div id="attachment_2872" class="wp-caption alignright" style="width: 434px"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/tatumiyagura.jpg"><img class="size-full wp-image-2872 " title="巽櫓" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/tatumiyagura.jpg" alt="" width="424" height="638" /></a><p class="wp-caption-text">お堀の外から。巽櫓(桜田二重櫓)</p></div>
<p>皇居外苑もあわせてグルっと回るのもオススメです。外国人の観光客と修学旅行の生徒を、いたる所で見かける人気のルートにもなっているようです。外から見上げる巽櫓もなかなか良いですよ。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。<br />
<span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2013年12月号掲載）</span><br />
<a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a></p>
<p>&nbsp;</p>
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		<title>神楽坂～古き良き江戸情緒が残る、粋でおしゃれな街～</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Apr 2016 01:00:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

		<guid isPermaLink="false">https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/?p=2153</guid>
		<description><![CDATA[東京のど真ん中に江戸の面影を残す、坂の街･神楽坂。大通りから一歩路地に入ると、石畳のしっとりした路があり、和の小物を扱う雑貨屋さんがあるかと思えば、また別の路地に入るとそこは美味しいフレンチのお店やワインバーなどがあります。 脈々と受け継がれる老舗の伝統や花柳界の文化に加え、新たな現代的魅力を身につけ発展しつづけている、粋でレトロでおしゃれな街。神楽坂は今も多くの散歩人を惹きつけています。（タイトル写真は芸者小道） 神楽坂へのアクセスは、JR総武線の「飯田橋駅（西口）」から。東京メトロ利用なら有楽町線・南北線・東西線の「飯田橋駅（出口B3・B4a）」か、東西線の「神楽坂駅（出口1.神楽坂口）」下車で。都営地下鉄利用なら大江戸線「飯田橋駅（出口B3・B4a）」か、同じく大江戸線の「牛込神楽坂（出口A2）」がオススメです。 「飯田橋駅」からだと神楽坂の坂下から上って行く感じに。逆に「神楽坂駅」なら坂を下って行くルートになります。「牛込神楽坂駅」からだと調度中間地点に出ることになるでしょう。実は神楽坂と呼ばれる地域は、駅の「神楽坂周辺」よりも、写真の飯田橋駅近くの神楽坂下から始まるエリアを指します。なので、神楽坂の昔なじみのよく知られている通りやお店などは、飯田橋駅寄りに集中しています。 ただ、ここ最近はマスコミの力もあってか、神楽坂上よりさらに奥にも注目が集まってきているようです。「奥神楽坂」とも呼ばれていてお店も増え、今注目のスポットになっています。そしてなんと、陶陶酒ショップは、この奥神楽坂エリアにございます。平日の昼間のみの営業ですが、少し足を延ばして、お寄りいただければと幸いです。陶陶酒本舗への最寄り駅は、東京メトロ・東西線の「神楽坂駅」で、出口は早稲田駅寄りの「出口2.矢来口」となります。 神楽坂の歴史 14世紀頃、群馬県赤城山南麓の豪族大胡氏が今の光照寺周辺の台地に牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまり。 そして江戸時代、大老の酒井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した1628年頃、坂下には江戸城の外濠、牛込見附が完成し、両者をつなぐ約1kmの大老登城道が造られ、これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。沿道は武家屋敷として地割りされました。 1658年には、牛込から和泉橋まで神田川が開通、現在の飯田橋駅北側に湊が開かれ、軽子坂付近は多くの人と物資が行き交う場になりました。 江戸中期になると、毘沙門天(善国寺)の「寅の日」、出世稲荷の「午の日」の縁日の賑わいに、赤城神社および行元寺前の岡場所の賑わいも加わって、燗熟の江戸文化を謳歌する街となったのでした。 明治期になると武家屋敷が撤去されて神楽坂は町人のまちとなり、今より急峻で階段もあった神楽坂通りは緩やかな坂道に変わりましたが、路地などの街割りは現在に至るまでほぼそのまま残されています。 （新宿区観光協会「神楽坂のまち・路地・歴史」より抜粋） ★かくれんぼ横丁 迷路のように入り組んだ石畳の一角で数々の名店が並ぶ。かけもちの芸妓が客に見つからないように使った道だそうです。 ★軽子坂 今の飯田濠にかつて神楽河岸がありました。軽子とは軽かご持ちの略称で船荷を軽かごに入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられました。 ★本多横丁 旗本・本多対馬守の屋敷があり、「本多修理屋敷脇横町通り」と呼ばれていたことに由来しています。「神楽坂最大の横丁」と言われ、飲食店を中心として５０軒以上の店舗が軒を連ねています。一本路地を入ると、石畳の路も残り、料亭街の雰囲気もある、どの店も個性的で魅力的な飲食店を中心にした商店街になっています。 ★兵庫横丁 かつて武器商人がこの辺りに住んでいたことからその名がついたと言われる横丁で鎌倉時代からの古道。とても細い本多横丁の石畳を進んでいくと、山田洋次、竹山洋、倉本聰などのそうそうたる監督や脚本家が愛用した「旅館・和可菜」が見えてきます。数々の名作は、このひっそりとした石畳の路地裏から生まれました。 ★小栗横丁 小さな飲食店が並ぶ横丁。小栗という名の武士の屋敷があったことからその名がつけられました。この一角には泉鏡花の旧宅があったそうです。 ●相馬屋と山田紙店 夏目漱石や尾崎紅葉は「相馬屋」の原稿用紙を愛用し、川端康成や吉行淳之介は「山田紙店」のを愛用したと言われています。 【毘沙門天（善國寺）】 開基は徳川家康、開山は池上本門寺第12代貫主である日惺上人と伝わります。安土桃山時代の文禄４年（1595年）、馬喰町に創建され、寛政５年（1793年）に現在地へ。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。現在は山手七福神の一つに数えられています。 【赤城神社】 西暦1,300年頃からの歴史がある神社ですが、平成22年に老朽化などの理由で、建て替えられました。設計者は赤城神社近くに住む、著名建築家「隅研吾」氏。 今回も散策MAPはPDFでアップしておきますので、確認してみてください。 ⇒神楽坂散策MAP 上記全てを巡った後に、ぜひ、陶陶酒ショップにもお立ち寄りください。お待ちしています。 【陶陶酒ショップ】 営業日時：月～金（祝祭日などは除く）／午前9時～午後5時 場所：東京都新宿区天神町6番地Mビル1階【神楽坂駅・矢来口より徒歩２分】 ★昼休みには、健康茶の試飲会をやっています。 （「健康な暮らし」2013年8月号掲載）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>東京のど真ん中に江戸の面影を残す、坂の街･神楽坂。大通りから一歩路地に入ると、石畳のしっとりした路があり、和の小物を扱う雑貨屋さんがあるかと思えば、また別の路地に入るとそこは美味しいフレンチのお店やワインバーなどがあります。<br />
脈々と受け継がれる老舗の伝統や花柳界の文化に加え、新たな現代的魅力を身につけ発展しつづけている、粋でレトロでおしゃれな街。神楽坂は今も多くの散歩人を惹きつけています。（タイトル写真は芸者小道）</p>
<p>神楽坂へのアクセスは、JR総武線の「飯田橋駅（西口）」から。東京メトロ利用なら有楽町線・南北線・東西線の「飯田橋駅（出口B3・B4a）」か、東西線の「神楽坂駅（出口1.神楽坂口）」下車で。都営地下鉄利用なら大江戸線「飯田橋駅（出口B3・B4a）」か、同じく大江戸線の「牛込神楽坂（出口A2）」がオススメです。</p>
<div id="attachment_2339" class="wp-caption alignright" style="width: 265px"><img class="size-full wp-image-2339   " title="神楽坂下" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka1.jpg" alt="" width="255" height="229" /><p class="wp-caption-text">飯田橋駅すぐ神楽坂下</p></div>
<p>「飯田橋駅」からだと神楽坂の坂下から上って行く感じに。逆に「神楽坂駅」なら坂を下って行くルートになります。「牛込神楽坂駅」からだと調度中間地点に出ることになるでしょう。実は神楽坂と呼ばれる地域は、駅の「神楽坂周辺」よりも、写真の飯田橋駅近くの神楽坂下から始まるエリアを指します。なので、神楽坂の昔なじみのよく知られている通りやお店などは、飯田橋駅寄りに集中しています。<br />
ただ、ここ最近はマスコミの力もあってか、神楽坂上よりさらに奥にも注目が集まってきているようです。「奥神楽坂」とも呼ばれていてお店も増え、今注目のスポットになっています。そしてなんと、陶陶酒ショップは、この奥神楽坂エリアにございます。平日の昼間のみの営業ですが、少し足を延ばして、お寄りいただければと幸いです。陶陶酒本舗への最寄り駅は、東京メトロ・東西線の「神楽坂駅」で、出口は早稲田駅寄りの「出口2.矢来口」となります。</p>
<p><strong>神楽坂の歴史</strong><br />
14世紀頃、群馬県赤城山南麓の豪族大胡氏が今の光照寺周辺の台地に牛込城を築いたのが神楽坂発展のはじまり。<br />
そして江戸時代、大老の酒井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した1628年頃、坂下には江戸城の外濠、牛込見附が完成し、両者をつなぐ約1kmの大老登城道が造られ、これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。沿道は武家屋敷として地割りされました。<br />
1658年には、牛込から和泉橋まで神田川が開通、現在の飯田橋駅北側に湊が開かれ、軽子坂付近は多くの人と物資が行き交う場になりました。<br />
江戸中期になると、毘沙門天(善国寺)の「寅の日」、出世稲荷の「午の日」の縁日の賑わいに、赤城神社および行元寺前の岡場所の賑わいも加わって、燗熟の江戸文化を謳歌する街となったのでした。<br />
明治期になると武家屋敷が撤去されて神楽坂は町人のまちとなり、今より急峻で階段もあった神楽坂通りは緩やかな坂道に変わりましたが、路地などの街割りは現在に至るまでほぼそのまま残されています。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（新宿区観光協会「神楽坂のまち・路地・歴史」より抜粋）</span></p>
<p><strong><span style="color: #cc9933;">★</span>かくれんぼ横丁</strong><br />
迷路のように入り組んだ石畳の一角で数々の名店が並ぶ。かけもちの芸妓が客に見つからないように使った道だそうです。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-2361" title="kagurazaka2" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka21.jpg" alt="かくれんぼ横丁" width="699" height="337" /></p>
<p><strong><span style="color: #cc9933;">★</span>軽子坂</strong><br />
今の飯田濠にかつて神楽河岸がありました。軽子とは軽かご持ちの略称で船荷を軽かごに入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられました。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-2364" title="本田横丁" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka3.jpg" alt="" width="115" height="115" /><strong><span style="color: #cc9933;">★</span>本多横丁</strong><br />
旗本・本多対馬守の屋敷があり、「本多修理屋敷脇横町通り」と呼ばれていたことに由来しています。「神楽坂最大の横丁」と言われ、飲食店を中心として５０軒以上の店舗が軒を連ねています。一本路地を入ると、石畳の路も残り、料亭街の雰囲気もある、どの店も個性的で魅力的な飲食店を中心にした商店街になっています。</p>
<p><strong><span style="color: #cc9933;">★</span>兵庫横丁</strong><br />
かつて武器商人がこの辺りに住んでいたことからその名がついたと言われる横丁で鎌倉時代からの古道。とても細い本多横丁の石畳を進んでいくと、山田洋次、竹山洋、倉本聰などのそうそうたる監督や脚本家が愛用した<strong>「旅館・和可菜」</strong>が見えてきます。数々の名作は、このひっそりとした石畳の路地裏から生まれました。<br />
<img class="aligncenter size-full wp-image-2373" title="兵庫横丁" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka4.jpg" alt="" width="700" height="250" /></p>
<p><strong><span style="color: #cc9933;">★</span>小栗横丁</strong><br />
小さな飲食店が並ぶ横丁。小栗という名の武士の屋敷があったことからその名がつけられました。この一角には泉鏡花の旧宅があったそうです。</p>
<p><span style="color: #00ccff;"><strong>●<span style="color: #000000;">相馬屋と山田紙店</span></strong></span><br />
夏目漱石や尾崎紅葉は「相馬屋」の原稿用紙を愛用し、川端康成や吉行淳之介は「山田紙店」のを愛用したと言われています。</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka5.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2376" title="毘沙門天" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka5.jpg" alt="" width="166" height="119" /></a><span style="color: #339966;"><strong>【毘沙門天（善國寺）】</strong></span><br />
開基は徳川家康、開山は池上本門寺第12代貫主である日惺上人と伝わります。安土桃山時代の文禄４年（1595年）、馬喰町に創建され、寛政５年（1793年）に現在地へ。本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。現在は山手七福神の一つに数えられています。</p>
<p><span style="color: #339966;"><strong>【赤城神社】</strong></span><br />
西暦1,300年頃からの歴史がある神社ですが、平成22年に老朽化などの理由で、建て替えられました。設計者は赤城神社近くに住む、著名建築家「隅研吾」氏。<br />
<img class="aligncenter size-full wp-image-2383" title="赤城神社" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka6.jpg" alt="" width="700" height="250" /></p>
<p>今回も散策MAPはPDFでアップしておきますので、確認してみてください。<br />
⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/04/kagurazaka_map.pdf">神楽坂散策MAP</a></p>
<p>上記全てを巡った後に、ぜひ、陶陶酒ショップにもお立ち寄りください。お待ちしています。</p>
<p><a href="http://www.tohtohshu.co.jp/company.html">【陶陶酒ショップ】</a><br />
営業日時：月～金（祝祭日などは除く）／午前9時～午後5時<br />
場所：東京都新宿区天神町6番地Mビル1階【神楽坂駅・矢来口より徒歩２分】<br />
★昼休みには、健康茶の試飲会をやっています。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2013年8月号掲載）</span><br />
<a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/detail.php?product_id=138"><img class="aligncenter size-full wp-image-616" title="ad_gulhia" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2015/10/ad_gulhia1.jpg" alt="" width="700" height="131" /></a></p>
]]></content:encoded>
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		<title>東京駅から有楽町・銀座界隈を歩く</title>
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		<pubDate>Wed, 10 Feb 2016 04:34:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kikaku3</dc:creator>
				<category><![CDATA[おたのしみ]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[歩く人は若返る！]]></category>
		<category><![CDATA[健康な暮らし]]></category>

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		<description><![CDATA[JR東京駅を起点としている路線は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の２路線、在来線が東海道本線・東京上野ライン（東北本線）・総武本線・京葉線の４路線で、これら各路線はすべて当駅を起点としており、構内にはこれら各線の０kmポストが設置されています。 写真は、6番線「京浜東北線」と7番線「上野 東京ライン・東海道線」の間にあるゼロキロポスト」を7番線ホームから写したもの。矢印のように上り下りの両方を指す形の土台に乗っています。土台の中央には、6番線から見える側には「JR JUNE 23 1996」と刻まれていて、写真の7番線から見える側には「KM」と刻まれています。 なお、中央本線はかつては当駅が正式起点でしたので０kmポストが設置されています。現在は神田駅が起点とされています。 そんな東京の玄関口である「東京駅」、電車の待ち時間に周辺をちょっと散歩してみるのはいかがでしょう。 今回は、説明が長くなってしまいましたので、先に下記リンクより散歩MAP（PDFデータ）をご覧いただくとわかりやすいかもしれません。⇒東京駅から有楽町・銀座界隈の散歩MAP 東京駅の歴史 1896（明治29）年に新橋駅と上野駅を結ぶ高架鉄道の途中、皇居（宮城）の正面の原野に中央停車場を建設することが可決され、大林組の施工により1914（大正3）年12月20日に開業。「東京駅」と名付けられました。 大正時代に入り、中央本線につづき東北本線が乗り入れ、1929（昭和4）年12月16日には東側の八重洲口が開設されるなど、徐々に発展していきました。 しかし、太平洋戦争の東京大空襲で大火災を引き起こした駅舎は、レンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残りましたが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われました。終戦直後から修復計画を立案し、1947（昭和22）年にかけて修復工事を行い、ほぼ現在の外観になりましたが、東京駅の創建当初の復原工事を期待する声も多く、2007（平成19）年5月30日に起工され、2012（平成24）年10月1日に現在の駅舎が完成しました。 有楽町の歴史 町名としての「有楽町」は、千代田区の見解では、織田信長の弟、織田長益（有楽斎）が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領したことからとしています。 また、明治初めの誕生の時、現在の東京駅あたりに「永楽町」が生まれていることから、有楽、永楽はペアの地名であって、明治初期の新政府（東京）による町名確定の際、めでたい意味から創作された瑞祥地名とも考えられています。はっきりしているのは江戸時代中期の頃から有楽ヶ原と江戸の絵図に地名がでており、正式な町名としては、明治5年（1872）からとなっています。 明治31年（1898）に東京市役所が設置され、明治43年（1910）には山手線が延伸され、有楽町駅が開業。昭和8年（1933）に日劇が、昭和9年（1934）に東京宝塚劇場がオープンし、有楽町は劇場街となっていきました。 平成17年（2005）の千代田区教育委員会による発掘調査では、大岡越前守で知られる、宝永4年（1707）開設された南町奉行所などの遺跡の存在が確認されました。 &#160; 東京駅「丸の内口」から有楽町駅・方面へ ★東京ステーションギャラリー（丸の内北口） 2012年秋、東京駅駅舎完成とともにさらに時代に即し、進化したかたちで6年半ぶりに新しくスタート。様々な企画展やイベントも開催しています。 《開館時間》10:00 &#8211; 18:00（金曜日 10:00 &#8211; 20:00）※入館は閉館30分前まで／《休館日》月曜日（祝日の場合は火曜日）、年末年始、展示替期間／《入館料》企画展により異なる ★東京ステーションホテル（丸の内南口） 2012年秋、東京駅駅舎完成とともにリニューアル・オープン。大正創建当時の優美な姿に蘇った国の重要文化財東京駅丸の内駅舎の壮麗な外観に調和するヨーロピアン・クラシックのデザインの内装に一新されています。2015年11月2日に開業100周年を迎えています。 ★丸ビル（写真左）と新丸ビル（写真右） 丸の内ビルディングは、三菱地所保有のオフィスビルで通称丸ビル。これは1999年（平成11）に取壊された丸ビルの形が円筒形であることから来ています。行幸通りを挟んで向かい側に位置している、新丸の内ビルディング（通称：新丸ビル）とともに、商業施設、オフィスフロアを兼ね備えた複合ビルです。 ★三菱一号館美術館 2010年春、三菱が1894年に復元した「三菱一号館」（ジョサイア・コンドル設計）に開館。19世紀後半から20世紀前半の近代美術を主題とする企画展を年3回開催しています。 《開館時間》10:00 &#8211; 18:00（祝日・振替休日除く金曜、展覧会会期中の最終週平日は20:00まで）／《休館日》月曜日（祝日・振替休日・展覧会会期中最終週の場合は開館）、年末、元旦、展示替え期間／《入館料》展覧会により異なる ★相田みつを美術館 書家・詩人として、自分の書、自分の言葉を探求し続けた相田みつを、その作品の数々を展示・紹介しています。ミュージアムショップは入館無料です。 《開館時間》10:00 &#8211; 17:30（入館は17:00まで）／《休館日》月曜日（祝・祭日の場合は開館）／《入館料》一般・大学生―800円、中・高校生─500円、小学生─200円（未就学児は無料）、70歳以上の方─500円他 ★DNタワー21 戦後、GHQに接収され、連合国最高司令官総司令部となった元第一生命ビル。第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が「マッカーサー記念室」として保存されています。通常は一般公開されていませんが、2015年7月29日から6日間の期間限定で、3年ぶりに完全予約制での一般公開がされたようです。 ★出光美術館 1966（昭和41）年、出光コレクションを展示する美術館として東京都千代田区丸の内に開館。美術館は皇居のお濠に面した帝劇ビルの9階に位置しています。 《開館時間》10:00 &#8211; 17:00（金曜日 10:00 &#8211; 18:30）※入館は閉館30分前まで／《休館日》月曜日（ただし月曜日が祝日および振替休日の場合は開館）、年末年始、展示替期間／《入館料》一般・大学生―1000円、高・大学生─700円、中学生以下無料（ただし保護者の同伴が必要です）他 ★有楽町ガード下の飲食店街 昭和のサラリーマンが足繁く通いたくなる庶民的なお店から、若者も多く訪れるような明るい雰囲気の女性でも入りやすいお店まで、ガード下の飲食店街は賑わっています。ランチ営業のお店もありますので、東京駅から有楽町駅のガード下のグルメ散策でも楽しめると思います。 ★南町奉行所跡 大岡越前で有名な「南町奉行所跡」は、JR有楽町駅の駅前なのですが、意外と知られていません。有楽町駅中央口側駅前広場から地下1階に降りる階段・エスカレーターの東側に南町奉行所のモニュメントがあります。 &#160; 東京駅「八重洲口」から有楽町駅・銀座方面へ ★北町奉行所跡 時代劇でお馴染み「遠山の金さん」のモデルとなった遠山左衛門尉景元が勤めていた北町奉行所の跡の説明板は、現在２ヶ所ですが、とてもわかりにくい所にあります。頑張って探してみてください。一つは、丸の内トラストタワー本館の東側通路（遊歩道になっています）の植え込みの中。もう一つがまた最近移動した模様、「北町奉行所跡」の石碑がグラントウキョウノースタワー前の植え込みの中にあります。 ★グランルーフ 東京駅八重洲口に南北をつなぐ「グランルーフ」が2013年9月20日に完成。グランルーフは八重洲口の２大高層ビル「グラントウキョウノースタワー」と「グラントウキョウサウスタワー」をつなぐ巨大な歩行者空間で、長さ約230メートルの大屋根と幅最大９メートルの歩行者通路になっています。また、地下1階から3階に新たな商業ゾーンがオープンしています。 ★ブリヂストン美術館（只今、長期休館中） ブリヂストンの創業者である石橋正二郎の収集した美術品を展示するため、1952（昭和27）年ブリヂストンビル内に開館した西洋美術館。19世紀当時、絵画が鑑賞されていた時代の雰囲気を味わえます。残念ながら、ビルの建て替えに伴う新築工事のため、2015年5月18日より長期休館中です。 ★東京国立近代美術館　フィルムセンター 日本で唯一の国立映画機関として発足。様々なテーマによる企画上映（観覧料あり）や、図書室での映画文献の公開、展示室（観覧料あり）での映画資料の展示を行っています。 《開館時間》11:00 &#8211; 21:00（土・日・祝 11:00 &#8211; 18:30）※図書室は12：30 &#8211; 18:30／《休館日》月曜日、年末年始、上映準備・展示替え期間※図書室は日曜日も休館 ★警察博物館（今年4月1日～2017年春まで休館） 日本の警察の始まりから現代までの歴史的資料。警視庁の歴史や活動を知ることができるほか、コンピュータゲームを通じて楽しく学習することができます。入場無料です。 《開館時間》10:00 &#8211; 18:00／《休館日》月曜日（祝日に当たる場合は翌日）、年末年始（12月28日～1月4日） ★奥野ビル 画廊やギャラリーが入るこのビルは、1932（昭和７）年竣工の銀座屈指の元高級アパートメント。昭和初期の趣を残すタイル貼りの外観や、銀座最古の手動式エレベーターなど昭和初期の風合いの残る内装が今ではかえってモダンに感じられます。 ★銀座中央通り 銀座1丁目から8丁目、京橋から新橋へと抜ける文字通り銀座の中央を走るメインストリートで、土日祝日は歩行者天国になります。歩行者天国は40年以上続く恒例行事で、いつもは車が行きかう中央通りが、人々がのんびり、ゆっくりと歩ける道となります。 ★日動画廊 1928年に創業、日本で最も歴史のある洋画商として、油彩、彫刻、版画を主に、内外の物故・現存あわせてその取り扱い作家は数百名に及びます。営業時間は、平日が10:00〜19：00、土曜日と祝日が11：00～18:00となっています。日曜日は休廊です。 日本各地のアンテナショップを巡る！ 【1】東京交通会館⇒たくさんのアンテナショップや地方の名産品を販売するお店が数多く入っています。 北海道どさんこプラザ／秋田ふるさと館／いきいき富山館／Shizuoka Mt.Fuji Green-tea Plaza／大阪百貨店／ゆめぷらざ滋賀／わかやま紀州館／むらからまちから館／兵庫わくわく館／徳島・香川トモニ市場～ふるさと物産館～／ザ・博多／コウノトリの恵み　豊岡／ピエトロドレッシング／丘のまち美瑛 【2】京都府 京都館 【3】北海道 北海道フーディスト 【4】福島県 八重洲観光交流館 【5】大分県 坐来大分 【6】沖縄県 銀座わしたショップ 【7】高知県 まるごと高知 【8】茨城県 茨城マルシェ 【9】山形県 おいしい山形プラザ 【10】徳島県 ええもんあるでぇ徳島 【11】広島県 広島ブランドショップ　TAU 【12】鹿児島県 かごしま遊楽館 【13】熊本県 銀座熊本館 【14】長野県 銀座NAGANO～しあわせ信州シェアスペース～ 【15】群馬県 ぐんまちゃん家 【16】岩手県 いわて銀河プラザ 【17】石川県 いしかわ百万石物語・江戸本店 【18】北海道 函館市アンテナショップ「函館もってきました。」 &#160; 東京駅から有楽町・銀背界隈を散策してみると、工事中の建物や広場を目にします。かなり大規模な再開発プロジェクトが進行しているようです。どう変わるのかに夢を馳せながらの散策もおもしろいかもしれませんね。また、地図上ではご紹介しきれていませんが、東京駅・大手町駅・二重橋駅・日比谷駅・有楽町駅・銀座駅・東銀座駅は、地下通路（一部は建物内）のみで巡ることも可能なんですよ。お好きな方は、東京駅の大地下街を探検してみてください。急な雨の際の避難路としても役立つことがあるかもしれません。ただ、地下なのにアップ・ダウンがありますので、足がご不自由な方は地上の方が歩きやすいです。 （「健康な暮らし」2015年4月号掲載・一部修正） 「デルカップ」の注目度は上昇中！そんな記事はこちら マカ陶陶酒の試飲会を有楽町のビックカメラで開催することがあります！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>JR東京駅を起点としている路線は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の２路線、在来線が東海道本線・東京上野ライン（東北本線）・総武本線・京葉線の４路線で、これら各路線はすべて当駅を起点としており、構内にはこれら各線の０kmポストが設置されています。<br />
<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/0km_post.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-1571" title="ゼロポスト" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/0km_post.jpg" alt="" width="126" height="103" /></a>写真は、6番線「京浜東北線」と7番線「上野 東京ライン・東海道線」の間にあるゼロキロポスト」を7番線ホームから写したもの。矢印のように上り下りの両方を指す形の土台に乗っています。土台の中央には、6番線から見える側には「JR JUNE 23 1996」と刻まれていて、写真の7番線から見える側には「KM」と刻まれています。<br />
なお、中央本線はかつては当駅が正式起点でしたので０kmポストが設置されています。現在は神田駅が起点とされています。<br />
そんな東京の玄関口である「東京駅」、電車の待ち時間に周辺をちょっと散歩してみるのはいかがでしょう。</p>
<p>今回は、説明が長くなってしまいましたので、先に下記リンクより散歩MAP（PDFデータ）をご覧いただくとわかりやすいかもしれません。⇒<a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/tokyo_st.pdf" target="_blank">東京駅から有楽町・銀座界隈の散歩MAP</a></p>
<p><strong>東京駅の歴史</strong><br />
1896（明治29）年に新橋駅と上野駅を結ぶ高架鉄道の途中、皇居（宮城）の正面の原野に中央停車場を建設することが可決され、大林組の施工により1914（大正3）年12月20日に開業。「東京駅」と名付けられました。<br />
大正時代に入り、中央本線につづき東北本線が乗り入れ、1929（昭和4）年12月16日には東側の八重洲口が開設されるなど、徐々に発展していきました。<br />
しかし、太平洋戦争の東京大空襲で大火災を引き起こした駅舎は、レンガ造壁とコンクリート造床の構造体は残りましたが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われました。終戦直後から修復計画を立案し、1947（昭和22）年にかけて修復工事を行い、ほぼ現在の外観になりましたが、東京駅の創建当初の復原工事を期待する声も多く、2007（平成19）年5月30日に起工され、2012（平成24）年10月1日に現在の駅舎が完成しました。</p>
<p><strong>有楽町の歴史</strong><br />
町名としての「有楽町」は、千代田区の見解では、織田信長の弟、織田長益（有楽斎）が徳川家康より数寄屋橋御門周辺の土地を拝領したことからとしています。<br />
また、明治初めの誕生の時、現在の東京駅あたりに「永楽町」が生まれていることから、有楽、永楽はペアの地名であって、明治初期の新政府（東京）による町名確定の際、めでたい意味から創作された瑞祥地名とも考えられています。はっきりしているのは江戸時代中期の頃から有楽ヶ原と江戸の絵図に地名がでており、正式な町名としては、明治5年（1872）からとなっています。<br />
明治31年（1898）に東京市役所が設置され、明治43年（1910）には山手線が延伸され、有楽町駅が開業。昭和8年（1933）に日劇が、昭和9年（1934）に東京宝塚劇場がオープンし、有楽町は劇場街となっていきました。<br />
平成17年（2005）の千代田区教育委員会による発掘調査では、大岡越前守で知られる、宝永4年（1707）開設された南町奉行所などの遺跡の存在が確認されました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/tokyo_m.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-1575" title="丸の内口" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/tokyo_m.jpg" alt="" width="125" height="174" /></a><span style="font-size: large; color: #008000;">東京駅「丸の内口」から有楽町駅・方面へ</span></p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;"><strong>★</strong></span>東京ステーションギャラリー</strong>（丸の内北口）<br />
2012年秋、東京駅駅舎完成とともにさらに時代に即し、進化したかたちで6年半ぶりに新しくスタート。様々な企画展やイベントも開催しています。<br />
《開館時間》10:00 &#8211; 18:00（金曜日 10:00 &#8211; 20:00）※入館は閉館30分前まで／《休館日》月曜日（祝日の場合は火曜日）、年末年始、展示替期間／《入館料》企画展により異なる</p>
<p><strong><span style="color: #ff9900;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/tokyo_h.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1584 alignleft" title="東京ステーションホテル" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/tokyo_h.jpg" alt="" width="98" height="79" /></a>★</span>東京ステーションホテル</strong>（丸の内南口）<br />
2012年秋、東京駅駅舎完成とともにリニューアル・オープン。大正創建当時の優美な姿に蘇った国の重要文化財東京駅丸の内駅舎の壮麗な外観に調和するヨーロピアン・クラシックのデザインの内装に一新されています。2015年11月2日に開業100周年を迎えています。</p>
<p><strong><span style="color: #808080;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/maru.jpg" target="_blank"><img class="alignleft size-full wp-image-1588" title="丸ビルと新丸ビル" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/maru.jpg" alt="" width="98" height="68" /></a>★</span>丸ビル（写真左）と新丸ビル（写真右）</strong><br />
丸の内ビルディングは、三菱地所保有のオフィスビルで通称丸ビル。これは1999年（平成11）に取壊された丸ビルの形が円筒形であることから来ています。行幸通りを挟んで向かい側に位置している、新丸の内ビルディング（通称：新丸ビル）とともに、商業施設、オフィスフロアを兼ね備えた複合ビルです。</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>三菱一号館美術館</strong><br />
2010年春、三菱が1894年に復元した「三菱一号館」（ジョサイア・コンドル設計）に開館。19世紀後半から20世紀前半の近代美術を主題とする企画展を年3回開催しています。<br />
《開館時間》10:00 &#8211; 18:00（祝日・振替休日除く金曜、展覧会会期中の最終週平日は20:00まで）／《休館日》月曜日（祝日・振替休日・展覧会会期中最終週の場合は開館）、年末、元旦、展示替え期間／《入館料》展覧会により異なる</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>相田みつを美術館</strong><br />
書家・詩人として、自分の書、自分の言葉を探求し続けた相田みつを、その作品の数々を展示・紹介しています。ミュージアムショップは入館無料です。<br />
《開館時間》10:00 &#8211; 17:30（入館は17:00まで）／《休館日》月曜日（祝・祭日の場合は開館）／《入館料》一般・大学生―800円、中・高校生─500円、小学生─200円（未就学児は無料）、70歳以上の方─500円他</p>
<p><strong><span style="color: #808080;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/dn.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-1591" title="DNタワー21" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/dn.jpg" alt="" width="98" height="132" /></a>★</span>DNタワー21</strong><br />
戦後、GHQに接収され、連合国最高司令官総司令部となった元第一生命ビル。第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が「マッカーサー記念室」として保存されています。通常は一般公開されていませんが、2015年7月29日から6日間の期間限定で、3年ぶりに完全予約制での一般公開がされたようです。</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>出光美術館</strong><br />
1966（昭和41）年、出光コレクションを展示する美術館として東京都千代田区丸の内に開館。美術館は皇居のお濠に面した帝劇ビルの9階に位置しています。<br />
《開館時間》10:00 &#8211; 17:00（金曜日 10:00 &#8211; 18:30）※入館は閉館30分前まで／《休館日》月曜日（ただし月曜日が祝日および振替休日の場合は開館）、年末年始、展示替期間／《入館料》一般・大学生―1000円、高・大学生─700円、中学生以下無料（ただし保護者の同伴が必要です）他</p>
<p><strong><span style="color: #808080;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/gard.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-1595" title="有楽町ガード下の飲食店街" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/gard.jpg" alt="" width="98" height="115" /></a>★</span>有楽町ガード下の飲食店街</strong><br />
昭和のサラリーマンが足繁く通いたくなる庶民的なお店から、若者も多く訪れるような明るい雰囲気の女性でも入りやすいお店まで、ガード下の飲食店街は賑わっています。ランチ営業のお店もありますので、東京駅から有楽町駅のガード下のグルメ散策でも楽しめると思います。</p>
<p><strong><span style="color: #ff0000;">★</span>南町奉行所跡</strong><br />
大岡越前で有名な「南町奉行所跡」は、JR有楽町駅の駅前なのですが、意外と知られていません。有楽町駅中央口側駅前広場から地下1階に降りる階段・エスカレーターの東側に南町奉行所のモニュメントがあります。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: large; color: #008000;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/グランルーフ3.jpg" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-1604" title="八重洲口" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/グランルーフ3.jpg" alt="" width="146" height="87" /></a>東京駅「八重洲口」から有楽町駅・銀座方面へ</span></p>
<p><strong><span style="color: #ff0000;">★</span>北町奉行所跡</strong><br />
時代劇でお馴染み「遠山の金さん」のモデルとなった遠山左衛門尉景元が勤めていた北町奉行所の跡の説明板は、現在２ヶ所ですが、とてもわかりにくい所にあります。頑張って探してみてください。一つは、丸の内トラストタワー本館の東側通路（遊歩道になっています）の植え込みの中。もう一つがまた最近移動した模様、「北町奉行所跡」の石碑がグラントウキョウノースタワー前の植え込みの中にあります。</p>
<p><strong><span style="color: #808080;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/グランルーフ通路.jpg" target="_blank"><img class="alignleft size-full wp-image-1609" title="グランルーフ通路" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/グランルーフ通路.jpg" alt="" width="98" height="88" /></a>★</span>グランルーフ</strong><br />
東京駅八重洲口に南北をつなぐ「グランルーフ」が2013年9月20日に完成。グランルーフは八重洲口の２大高層ビル「グラントウキョウノースタワー」と「グラントウキョウサウスタワー」をつなぐ巨大な歩行者空間で、長さ約230メートルの大屋根と幅最大９メートルの歩行者通路になっています。また、地下1階から3階に新たな商業ゾーンがオープンしています。</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>ブリヂストン美術館</strong>（只今、長期休館中）<br />
ブリヂストンの創業者である石橋正二郎の収集した美術品を展示するため、1952（昭和27）年ブリヂストンビル内に開館した西洋美術館。19世紀当時、絵画が鑑賞されていた時代の雰囲気を味わえます。残念ながら、ビルの建て替えに伴う新築工事のため、2015年5月18日より長期休館中です。</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>東京国立近代美術館　フィルムセンター</strong><br />
日本で唯一の国立映画機関として発足。様々なテーマによる企画上映（観覧料あり）や、図書室での映画文献の公開、展示室（観覧料あり）での映画資料の展示を行っています。<br />
《開館時間》11:00 &#8211; 21:00（土・日・祝 11:00 &#8211; 18:30）※図書室は12：30 &#8211; 18:30／《休館日》月曜日、年末年始、上映準備・展示替え期間※図書室は日曜日も休館</p>
<p><strong><span style="color: #ff99cc;">★</span>警察博物館</strong>（今年4月1日～2017年春まで休館）<br />
日本の警察の始まりから現代までの歴史的資料。警視庁の歴史や活動を知ることができるほか、コンピュータゲームを通じて楽しく学習することができます。入場無料です。<br />
《開館時間》10:00 &#8211; 18:00／《休館日》月曜日（祝日に当たる場合は翌日）、年末年始（12月28日～1月4日）</p>
<p><strong><span style="color: #00ffff;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/okuno1.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1613 alignright" title="奥野ビル" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/okuno1.jpg" alt="" width="97" height="138" /></a>★</span>奥野ビル</strong><br />
画廊やギャラリーが入るこのビルは、1932（昭和７）年竣工の銀座屈指の元高級アパートメント。昭和初期の趣を残すタイル貼りの外観や、銀座最古の手動式エレベーターなど昭和初期の風合いの残る内装が今ではかえってモダンに感じられます。</p>
<p><strong><span style="color: #808080;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/銀座歩行者天国.jpg" target="_blank"><img class="size-full wp-image-1617 alignleft" title="銀座歩行者天国" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/銀座歩行者天国.jpg" alt="" width="98" height="75" /></a>★</span>銀座中央通り</strong><br />
銀座1丁目から8丁目、京橋から新橋へと抜ける文字通り銀座の中央を走るメインストリートで、土日祝日は歩行者天国になります。歩行者天国は40年以上続く恒例行事で、いつもは車が行きかう中央通りが、人々がのんびり、ゆっくりと歩ける道となります。</p>
<p><strong><span style="color: #00ffff;">★</span>日動画廊</strong><br />
1928年に創業、日本で最も歴史のある洋画商として、油彩、彫刻、版画を主に、内外の物故・現存あわせてその取り扱い作家は数百名に及びます。営業時間は、平日が10:00〜19：00、土曜日と祝日が11：00～18:00となっています。日曜日は休廊です。</p>
<p><span style="font-size: large; color: #008000;">日本各地のアンテナショップを巡る！</span></p>
<p><strong>【1】東京交通会館</strong>⇒たくさんのアンテナショップや地方の名産品を販売するお店が数多く入っています。<br />
北海道どさんこプラザ／秋田ふるさと館／いきいき富山館／Shizuoka Mt.Fuji Green-tea Plaza／大阪百貨店／ゆめぷらざ滋賀／わかやま紀州館／むらからまちから館／兵庫わくわく館／徳島・香川トモニ市場～ふるさと物産館～／ザ・博多／コウノトリの恵み　豊岡／ピエトロドレッシング／丘のまち美瑛<br />
<strong>【2】京都府</strong> 京都館<br />
<strong>【3】北海道</strong> 北海道フーディスト<br />
<strong>【4】福島県</strong> 八重洲観光交流館<br />
<strong>【5】大分県</strong> 坐来大分<br />
<strong>【6】沖縄県</strong> 銀座わしたショップ<br />
<strong>【7】高知県</strong> まるごと高知<br />
<strong>【8】茨城県</strong> 茨城マルシェ<br />
<strong>【9】山形県</strong> おいしい山形プラザ<br />
<strong>【10】徳島県</strong> ええもんあるでぇ徳島<br />
<strong>【11】広島県</strong> 広島ブランドショップ　TAU<br />
<strong>【12】鹿児島県</strong> かごしま遊楽館<br />
<strong>【13】熊本県</strong> 銀座熊本館<br />
<strong>【14】長野県</strong> 銀座NAGANO～しあわせ信州シェアスペース～<br />
<strong>【15】群馬県</strong> ぐんまちゃん家<br />
<strong>【16】岩手県</strong> いわて銀河プラザ<br />
<strong>【17】石川県</strong> いしかわ百万石物語・江戸本店<br />
<strong>【18】北海道</strong> 函館市アンテナショップ「函館もってきました。」</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>東京駅から有楽町・銀背界隈を散策してみると、工事中の建物や広場を目にします。かなり大規模な再開発プロジェクトが進行しているようです。どう変わるのかに夢を馳せながらの散策もおもしろいかもしれませんね。また、地図上ではご紹介しきれていませんが、東京駅・大手町駅・二重橋駅・日比谷駅・有楽町駅・銀座駅・東銀座駅は、地下通路（一部は建物内）のみで巡ることも可能なんですよ。お好きな方は、東京駅の大地下街を探検してみてください。急な雨の際の避難路としても役立つことがあるかもしれません。ただ、地下なのにアップ・ダウンがありますので、足がご不自由な方は地上の方が歩きやすいです。</p>
<p style="text-align: right;"><span style="color: #808080;">（「健康な暮らし」2015年4月号掲載・一部修正）</span></p>
<p style="text-align: center;"><a href="http://shopping.tohtohshu.co.jp/products/list.php?category_id=200" target="_blank"><img class="aligncenter size-full wp-image-1625" title="ad_deru" src="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/wp-content/uploads/2016/02/ad_deru.jpg" alt="" width="701" height="131" /></a></p>
<p style="text-align: center;"><a title="「デルカップで盛り上がっている！」と教えていただきました。" href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/?p=1474http://">「デルカップ」の注目度は上昇中！そんな記事はこちら</a></p>
<p style="text-align: center;"><a href="https://blog.tohtohshu.co.jp/wp/?tag=trial" target="_blank">マカ陶陶酒の試飲会を有楽町のビックカメラで開催することがあります！</a></p>
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