隅田川川辺散策(隅田川テラス)と 橋ものがたり

隅田川川辺散策(隅田川テラス)と 橋ものがたり

いよいよ夏休み!夏本番ですね。今年は梅雨らしい日が少なく、既に猛暑日を記録していますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
暑い日にこそ、東京の水辺で涼やかなひとときを過ごしてみませんか。今回は、桜橋から永代橋までの「隅田川川辺散策」をご紹介します。暑さがひいた夕暮れ時の散策でも、なかなか楽しいですよ。写真は「佃島をバックにライトアップされた永代橋」です。
今年の隅田川花火大会は、7月30日(土)です。花火大会のついでの散策も、混雑を避けた日に散策でも、味わい深い景色に遭遇できるでしょう。

隅田川・橋の歴史
現在「隅田川」と呼ばれているこの川は、古くは承和2年(835)の太政官符に「住田河」として記されており、「宮戸川」などとも呼称されていました。
江戸時代に入ると、吾妻橋周辺より下流は大川(おおかわ)とも呼ばれ、今でも時代劇や古典落語などでは「大川」として出てきます。ちなみに、大川右岸(下流に向かって)、特に吾妻橋周辺から佃周辺までを大川端(おおかわばた)と称しています。

葛飾北斎「 冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」 左が1830年頃の両国橋。

江戸期の文禄3年(1594)に関東郡代が千住大橋を架橋します。寛文元年(1661)、明暦の大火を受けて江戸幕府は両国橋を架橋し、元禄年間に新大橋と永代橋を架橋。つづいて町方により吾妻橋が架橋されます。
明治期になると明治5年(1872)、永代橋、新大橋、両国橋、吾妻橋の4橋が架け替えられ、さらに厩橋、相生橋が架橋されました。
明治期ごろまでは多くの渡しによって両岸が結ばれていましたが、交通量の増加に伴い次第に木橋などで架橋が進んでいきます。後の関東大震災でその多くが被害を受けたために鋼橋に架け替えられ、更なる交通量の増加に伴い、多くの橋の建設が行われていき、それぞれが特徴のあるデザインとなっています。
近年では災害対策連絡橋を主とした橋や遊歩道的な歩行者専用橋なども架けられ、形や色など、よりバリエーションが豊かになっているので橋を眺めているだけでも楽しい1日が過ごせます。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。

隅田川テラス
隅田川の左右両岸には散策路が順次整備されています。平日の昼時にはサラリーマンやOLが休憩する姿が見られ、休日にはジョギングや犬の散歩をする近隣住民の姿が見られます。

★吾妻橋〔あづまばし〕
安永3年(1774)創架。
橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれたが、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。
明治9年(1876)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。

左に見えるのが吾妻橋

★両国橋〔りょうごくばし〕
創架年は万治2年(1659)と寛文元年(1661)と2説ある。名称は当初「大橋」と名付けられていた。しかしながら西側が武蔵国、東側が下総国と2つの国にまたがっていたことから俗に両国橋と呼ばれ、元禄6年に新大橋が架橋されると正式名称となった。

★新大橋〔しんおおはし〕
元禄6年(1694)創架。
「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。

★永代橋〔えいたいばし〕
元禄11年(1698)創架。
赤穂義士が引き揚げのとき渡ったことで有名な永代橋は、第5代将軍・徳川綱吉の50歳の誕生日を記念して架橋。「永代橋」という名称は当時佐賀町付近が「永代島」と呼ばれていたからという説と、徳川幕府が末永く代々続くようにという慶賀名という説がある。
文化4年(1807)には富岡八幡の祭礼の群衆の重さで橋が破れ、1500人余が隅田川に落ちるという惨事が起きた。

春夏秋冬、朝から夜まで、様々な景色を魅せてくれる東京の水辺「隅田川」。暑い夏の季節には、涼を求めて、のんびり散策も良いですね。

今回も散策MAPはPDFでアップしました!ぜひ、訪れてみてください。
「隅田川川辺散策(隅田川テラス)と 橋ものがたり」MAP

【江戸歳時記】都鳥(みやこどり)
昭和40年(1965)10月1日に「都鳥=都の鳥」ということから、ユリカモメ(写真)が都民の鳥として指定されました。この都民の鳥は、本当に「ユリカモメ」なのか、それとも本物の「ミヤコドリ」なのでしょうか。
在原業平の伊勢物語では「都鳥」のことを「白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ」と説明していて、大きさや体の特徴、水面を泳ぎながら魚を食べている事などから、この鳥はユリカモメと推定されています。ところが、江戸時代より前の隅田川辺では古くからチドリ類のミヤコドリを都鳥と呼んでいたとする説や貝原益軒もミヤコドリ説を唱えています。
つまり「都鳥」は、特徴からカモメ科のユリカモメを指している事もあれば、ミヤコドリ科のミヤコドリを指しているものもあり、どちらなのか判らない場合の方が多いのです。

隅田川の優雅な 船旅が楽しめる 水上バス。
散策の片道を隅田川めぐりを楽しむ約40分の船の旅をしてはいかがでしょうか。「浅草」と「日の出桟橋」との間にかかる全部12の橋や、名所・旧跡を紹介する船内アナウンスに耳を傾け、変貌する東京港の姿を眺めれば、散策の予習・復習として、江戸の情緒と、東京の「今」が別の角度から発見できるかもしれませんね。
最後に、浅草寺の雷門付近を散策されるなら、雷門近くのスーパーマーケット「オオゼキ」で販売中の『マカ陶陶酒』もよろしくお願いいたします。持ち運びに便利なポケット瓶もございます。

(「健康な暮らし」2015年8月号掲載)