都心のオアシス緑の憩いの場「日比谷公園散策」
少しずつではありますが、秋の気配が感じられるようになってきました。
今回ご紹介する「日比谷公園」は、有楽町や銀座などからも徒歩圏内で、東京メトロ丸ノ内線・千代田線「霞ヶ関駅」、東京メトロ日比谷線・千代田線「日比谷駅」、都営地下鉄三田線「日比谷駅」下車出口すぐ。さらに、東京メトロ・有楽町線「桜田門駅」、JR「有楽町」下車・徒歩8分というアクセスがとても良い公園として、仕事や買い物で疲れた時に、ちょっと寄ってリフレッシュするには、とても良い場所です。
年間を通じて、様々なイベントも多く開催されていますし、その季節の花々が楽しめます。ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょう。まさに、都心のオアシスとしておススメの公園です。
日比谷公園の歴史
日比谷公園は、国内最初の洋風近代式公園として明治36年(1903)6月に開園しました。ここは、江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれた地でしたが、明治になると大名屋敷が廃されて更地となり、日比谷ヶ原と呼ばれました。
造園するにあたって、江戸城に連なっていた堀を埋め立てる際に一部を心字池として残し、かつての石垣の一部「日比谷見附跡」を今でも見ることができます。
明治38年(1905)8月、野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が竣工、大正12年(1923)に野外大音楽堂が完成しました。
昭和46年(1971)には、沖縄返還運動により松本楼が全焼しましたが、昭和48年(1973)再建されました。
平成23年(2011)7月1日、東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館は、「日比谷図書文化館」として開館しました。
日比谷公園内には、明治期の数少ない近代洋風建築「旧日比谷公園事務所(東京都文化財)」、「日比谷公会堂・市政会館(東京都選定歴史的建造物)」、「京橋の欄干柱」、「南極の石」など歴史的な建物や珍しいものが設置されています。
★旧日比谷公園事務所
日比谷公園の管理事務所として、明治43年(1910)11月に竣工しました。
昭和51年(1976)に公園資料館として内部を改造しましたが、構造、外観の変更は旧態を留め、棹縁天井やベイウィンドーの腰掛け、階段などに当初の名残りがあります。
★心字池
開園前の濠を偲び造られ、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしています。禅宗の影響を受けた鎌倉、室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつです。
池の中央にはカメの形をした小さな『カメの噴水』があります。
★日比谷見附跡
江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の石垣の一部だけが、ここに残っています。
城の外側から順に、高麗門(こまもん)・枡形(ますがた)・渡櫓(わたりやぐら)・番所が石垣でかこまれていました。
★日比谷野外音楽堂(小音楽堂)
明治38年(1905)に完成したわが国初の野外音楽堂。大正12年(1923)9月の関東大震災で倒壊しましたが後日再築されました。
最大の特徴は、無料催事のみの貸し出しです。
★雲形池
心字池と共に 日比谷公園開園当時からの面影を残すドイツ風庭園様式の池です。都市公園等の噴水としては、わが国で三番目に古いとされる、はばたく姿の鶴の噴水があります。近年はなかなか見られなくなっていますが、冬になると、噴水の鶴の広げた翼からいくつものつららが下がる姿は公園の冬の風物詩でした。
★市政会館
当時の東京市長、後藤新平は、安田財閥・安田善次郎の寄付を受け、公園内に公会堂を付置した本格的なホールを備えた会館を昭和4年(1929)に竣工しました。これが、現在の市政会館と日比谷公会堂です。
★三笠山
公園造成時に、池などを掘った残土で作られた人工の山で、その当時は全体が三つの笠をふせた形に似ていたのでこの名が付いたと言われています。
★日比谷松本楼の10円カレー
日比谷公園と時を同じくしてオープンした日比谷松本楼は、3階建てのおしゃれな店として評判を呼び、当時のハイカラ好きな“モボ”や“モガ”のあいだでは「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが大流行したそうです。
昭和46年(1971)秋、放火により松本楼は焼失しましたが、全国からのあたたかい励ましに支えられて、昭和48(1973)年に、新装再オープンすることができました。そのときの感謝の心をこめた、記念行事としてはじまったのが「10円カレーチャリティーセール」です。
通常は880円の“ハイカラビーフカレー”が9月25日に限り、先着1500名が10円以上の寄付でカレーを食べられます。この日の売上は全額寄付されます。
今回も散策MAPはPDFでアップしました!四季折々の風情が楽しめる都会のオアシスへ、ぜひ、訪れてみてください。
⇒「日比谷公園散策」MAP
(「健康な暮らし」2016年8月号掲載)