皇居「東御苑」散策

皇居「東御苑」散策

江戸城(皇居東御苑)は、天正18年(1590)の徳川家康公入城以来、三代将軍家光公、寛永13年(1636)の完成。その当時の面影を残し、現在は、旧江戸城本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に無料開放しています。

出入りができるのは、大手門・平川門・北桔橋門の3門のみです。(入園の際は、各窓口で入園票を受け取り、退園の際はお返しください。)なお、各門とも駐車場はありません。主な交通アクセスは、東京メトロの丸の内線・東西線・千代田線・半蔵門線「大手町駅」C10出口から徒歩5分で「大手門」へ。東京メトロの東西線「竹橋駅」1A出口から徒歩5分で「平川門」か「北桔梗門」へとなります。

開演時間は季節によって違いますので、ご注意ください。
3月1日~4月14日⇒9:00~16:30(入園は16:00まで)
4月15日~8月末日⇒9:00~17:00(入園は17:00まで)
9月1日~10月末日⇒9:00~16:30(入園は16:00まで)
11月1日~2月末日⇒9:00~16:00(入園は15:30まで)

休園日は月曜日と金曜日(ただし、天皇誕生日以外の「国民の祝日等の休日は公開、月曜日が休日で公開する場合は、火曜日が休園となります)です。また、12月28日から翌年1月3日までも休園の他、行事の実施など、その他やむ得ない理由のため支障がある場合は休園となります。

【1】天守台
江戸城の天守は、慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、寛永の天守は、「江戸図屏風」によると金の鯱をのせた五層の天守閣でした。
この天守は、明暦3年(1657)の火災で焼け落ち、翌年に加賀藩前田家の普請により高さ18mの花崗岩でできた天守台が築かれます。これが現在残る天守台ですが、三代将軍徳川家光の異母弟で四代将軍綱吉の叔父である保科正之の「戦国の世の象徴である天守閣より、城下の復興を優先すべき」との提言により、以後天守閣は再建されることはありませんでした。江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在したのです。現在、東西約41m、南北約45m、高さ11mの石積みが残っています。

【2】大手門
大手門は、江戸城の正面門であり、ここから旧江戸城の皇居御苑に入ることができます。
この門は、特に重要な門であるため、馬上9人、徒侍3人、足軽30人、仲間20人、鉄砲20丁、弓10張、長槍20筋、持筒2丁、持弓2組、提灯30で警護にあたりました。
この門は江戸城の本丸に登城する際の正門であるため特に堅固に作られていました。

【3】北桔橋門
北桔橋門は、有事に備えて橋が跳ね上がる仕組みになっていました。太田道灌の時代には、この付近が城の大手(正面)であったと伝えられ、江戸時代は門を入った所に江戸城本丸の天守閣がありました。現在は、冠木門と橋だけが残っています。

【4】平川門
城内で死人や罪人が出ると、この門から外に出されたため“不浄門”と呼ばれていました。
殿中で刃傷に及んだ浅野内匠頭もこの門から出されたそうです。また奥女中の通用門としても使われたため、お局御門とも呼ばれています。

【5】百人番所
大手門から大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。大手三の門を守衛した江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たりました。

【6】諏訪の茶屋
諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在の御所のある一帯)にありました。この建物は、明治45年に再建されたもので、明治期の茶室風の建物として優雅な外観を持っているため、ここに移されました。

【7】松の廊下跡
本丸で二番目に長い廊下といわれ、西へ約19メートル、北へ約31メートル、幅は約5メートルであったと伝えられています。障壁画に「松」が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれていました。

【8】同心番所・大手三の門跡
江戸城へ登城する大名の供を監視しました。同心番所には大手三門を警護する与力・同心がつめていました。尾張・紀伊・水戸の徳川御三家を除くすべての大名・役人はここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登ったそうです。このことから、大手三の門を下乗門とも呼ばれたそうです。

【9】富士見櫓
歴代の城主が品川の海や富士山をご覧になったといわれている櫓。
現存の三重櫓は、万治2年(1659年)の再建で、江戸城本丸の遺構として貴重な存在といわれています。

二の丸庭園と二の丸池
もとは小堀遠州が造った庭園でしたが、何度も火災で焼失し、明治以降は荒れ果てていたのを昭和43年の東御苑公開にあわせて9代将軍・徳川家重の時代の絵図面を参考にして回遊式庭園として復原されました。現在は各都道府県の木など様々な植物が多数植えられ、訪れる人の目を楽しませてくれます。
池には水源が3つあります。南側の2つの水源は、ひとつに合流して小川となり、菖蒲田を経て、池に注ぎます。もうひとつは北側の高みにあり、滝となって池に落ちています。池には洲浜が作られ、雪見燈籠も置かれています。また、池にはインドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配させた、尾びれや胸びれが普通の鯉よりも長い、「ヒレナガニシキゴイ」という変わった鯉が泳いでいます。

皇居東御苑は、東京ドームの4.5倍の広さがあり、上記のような、忠臣蔵の舞台である「松の廊下跡」や、江戸城天守跡「天守台」、江戸城本丸の遺構である「富士見櫓」などの史跡が残っています。また、桜、梅、つつじ、菖蒲、ツバキ、サザンカ、水仙などが育ち、一年を通じて四季折々の花々を観賞できる、都心の広大な緑のオアシスとなっています。

散策MAPはPDFでアップしておきますので、確認してみてください。
皇居「東御苑」散策MAP

お堀の外から。巽櫓(桜田二重櫓)

皇居外苑もあわせてグルっと回るのもオススメです。外国人の観光客と修学旅行の生徒を、いたる所で見かける人気のルートにもなっているようです。外から見上げる巽櫓もなかなか良いですよ。ぜひ健康ドリンクを伴って散歩にお出かけください。
(「健康な暮らし」2013年12月号掲載)